主日礼拝メッセージ(Sermon)
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2026年1月18日
人生は屋根の上のヴァイオリン弾き
小平公憲 牧師
コヘレトの言葉1章2~5節、9章4~10節
聖書はパラドックスに満ちています。パラドックスとは、一見すると矛盾しているように見えながら、よく考えると真理を含んでいる事柄や表現を指します。「貧しき者は幸いなり」のような言葉です。コヘレトの言葉のパラドックスは、「空しさ」と「喜び」ではないでしょうか。
私の大好きなミュージカルに「屋根の上のヴァイオリン弾き」というものがあります。私はこのミュージカルを3回見ました。19世紀のウクライナに住むディアスポラのユダヤ人の家族を取り扱ったミュージカルです。主人公の父テヴィエ役には、森繁久彌さんや西田敏行さんなど、日本を代表する役者が演じてきました。なぜ、屋根の上のヴァイオリン弾きというのかというと、屋根の上でヴァイオリンを弾く者は、いつ屋根から落ちて首の骨を折って死んでしまうかもしれないのです。でも、屋根の上にいる間は、面白おかしく大好きなヴァイオリンを思いっきり弾いて踊るのです。
このミュージカルの原作者は、ショーレム・アレイヘムというユダヤ人です。このミュージカルはコヘレトの言葉の影響を強く受けているのではないかと思わされました。
このミュージカルのメインにはサンセットサンライズ(日は昇りまた沈む)という有名な曲が当てられています。コヘレトの言葉1章の5節には、「日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。」と書かれています。
コヘレトの言葉から人生のパラドックスを読み解いてみたいと思います。
【逗子第一バプテスト教会牧師 小平公憲】

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2026年1月11日
今、求めるべきこと
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書3章13~17節
しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」・・・・イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
(マタイによる福音書 3章15~17節)
1月2日に私たちが敬愛する水口憲子姉が召天され8日(木)に葬儀式が執り行われました。水口姉がはじめられた家庭集会(戸塚聖書を学ぶ会)から現在の横浜戸塚バプテスト教会は生まれました。水口姉の約40年にわたる教会のための祈りと奉仕と交わりに心から感謝いたします。何よりも、すべてを導かれた私たちの思いを越えて御業をなされる主の恵みと愛の御業に心から感謝をいたします。地上に残された井上真美さんのご一家をはじめ、水口姉のご家族の上に主にある慰めとこれからの歩みの導きのためにお祈りいたしましょう。
さて、新年がスタートして11日が過ぎます。皆さんは2026年をどのようにスタートされたでしょうか?きっとクリスマスやお正月の楽しかった時間もつかの間、生活や仕事や家族の様々なことがはじまって、現実に引き戻されそれに忙殺されているのではないでしょうか。また、先の見えない世界の現状にいったい自分は何を求めて行けばよいだろうか、と漠然とした不安や心配を抱えているかもしれません。私たちが、今求めるべきことは何でしょうか?
イエスさまは宣教の働きの最初にヨルダン川の中に立っていました。それはあえて洗礼者ヨハネからバプテスマを受けて、天が開いて、聖霊の力を受け、「これは私の愛する子、心に適う者」という父の呼びかけを聞くためでした。イエスさまが立たれた場所に私たちも立ちましょう。今も、神は聖霊を与え、御声を語り、私たちを「愛され、義とされた者」として新しく生かしてくださいます。【牧師 堀野浩嗣】
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2026年1月4日
悔い改めよ、天の国は近づいた
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書3章1~12節
そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
(マタイによる福音書 3章1~3節)
主の年2026年 新年あけましておめでとうございます。新しい1年の歩みの上に神さまの祝福と恵みが豊かに満ち溢れますように心よりお祈りいたします。
洗礼者ヨハネは主イエス・キリストの到来を人々に宣べ伝え、キリストが来られるための道を備えるように言いました。どのようにして道は備えられ、キリストは天の国の支配を私たちの人生に与えてくださるのでしょうか? ヨハネは「悔い改めなさい」と人々に言いました。
「悔い改め」は不品行や不道徳、不信心を猛省して、良い行いや心に変えるというイメージかもしれません。しかし、聖書において「悔い改め」(メタノイア)は祝福と回復への恵み賜物です。「悔い改め」は自分の座を主イエス・キリストに明け渡すことです。順風満帆の時はその座を主イエスに明け渡し、すべて主の恵みと力であると感謝しましょう。へりくだり主に感謝する人を主はさらに高められます。困難と試練の時もその座を主イエスに明け渡しましょう。主が聖霊の知恵と、主の聖さと権威でもってあなたの困難と試練の日々に平安と慰めを与えて最善に導いてくださいます。
水による洗礼バプテスマは主への悔い改めの恵みの賜物に生きるスタートです。自分を恥じることなく何度でも「悔い改め」て主がくださる新しい祝福と回復を受けとりましょう。主イエスはあなたの人生に悔い改めの実を結ばせたいのです。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年12月28日
ヘロデを恐れるな 要塞も破壊する神の力
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書2章13~18節、コリントの信徒への手紙2 10章3~6節
わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。 (コリント2 10:3~4前半)
神の子イエスの誕生の知らせを知るとユダヤの王ヘロデはイエスを殺害しようとしました。神に敵対する闇の力や人生の困難はいつの時代もあります。私たちはそのような立ちはだかる壁に恐れや不安やあきらめを持つでしょう。しかし私たちは目の前のヘロデや私たちを恐れと暗闇に閉じ込めようとする要塞に屈する必要はありません。神はイエス・キリストと共にある人たちをどんな時も、どんな勢力からも守られます。そして、私たちが主イエスの救いの御業を信じて従い続ければ、神は要塞を打ち破る十字架の愛と復活の命を与え、主ご自身が要塞を打ち破られます。
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2025年横浜戸塚バプテスト教会感謝のリプレイ
☆2月香港からカンパ―リー宣教師をお迎えした。8月末ご家族の事情で急遽帰国を余儀なくされ、短い期間の働きとなったが、香港の教会との宣教協力の関係が深まって感謝。来年以降もジョー宣教師や香港の教会との交わりと協力に期待する。
☆4月より杉野省治先生を対外宣教協力牧師として招聘した。純子夫人と共に牧会チームが教会に加えられ共に主の宣教に仕えられることに感謝。ご夫妻の健康とお働きが益々祝福されるようにお祈りいたします。
☆青森バプテスト教会へのビジョントリップを通して、遠隔地にある教会との協力・交わり・祈りの関係が与えられたことに感謝。逗子第一教会とのパートナーシップ協力伝道、さらに湘南台教会や藤沢教会を含めて神奈川南部(カナン)宣教ラウンドテーブルの働きが来年も主によって前進するように祈りましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年12月21日
ヨセフよ、恐れず迎え入れなさい
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書1章18~25節
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 (マタイによる福音書1:20~21)
クリスマスは、今から約2025年前に、すべての人間を罪から救うために救い主イエス・キリストが誕生され、わたしたちのところに到着された!ということを全世界の人々に伝え、共に感謝し、礼拝するために始められたキリスト教の祝祭日です。そして、約2000年間、キリスト教会は救い主イエス・キリストの誕生と到来こそが全人類に与えられた神の平和と希望の光であると宣べ伝えてきました。
しかし、このクリスマスの出来事は2000年前の過去の出来事ではありません。神の御子イエス・キリストが人としてこの世に来られたのは、キリストによって私たちが罪と死の暗闇から救い出され、インマヌエル(神は我らと共におられる)の主イエス・キリストによって真の愛と平安に生きるようになるためです。
小さな子どもも高齢者も、どのような人種、民族、言語、宗教の人でも、喜びあるいのちに生きるためには愛が必要です。また、恐れと暗闇に満ちたこの世界で生きるためにまことの平安が必要です。イエス・キリストが十字架で示された真実の愛と永遠の平安(平和)を知るクリスマスになりますように心よりお祈りいたします。
天使は、疑い、混乱し、将来の不安に押しつぶされそうになるマリアの夫ヨセフに「恐れず、迎え入れなさい」と言いました。ヨセフが受け入れることによって、クリスマスの奇跡は示されました。あなたも今、受け入れがたい恐れや不安の中にいるかもしれません。イエスさまはあなたの人生に来られます。そして、あなたがイエスを迎え入れるなら、そこから奇跡がはじまるのです。 メリー クリスマス!
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年12月14日
アドベント 新しい備え
杉野省治協力牧師
ルカによる福音書1章5~25節
天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
(ルカによる福音書1章13節)
人生には、何かしら冒険(ベンチャー)の要素がある。冒険(ベンチャー)とは、他の人がめったにしない危険なこと、スリリングなことをすることだろうか。冒険という言葉には、日本語では「危険を冒す」という意味合いがあるが、ベンチャー(冒険)というのは、アドベンチャー(冒険)、あるいはフランス語ならアバンチュールも同じで、いずれも「来る」「やってくる」という言葉から由来している。
何かが来る、思いがけないことが起きる、その時新しくやってくることの中に信頼して生きる、それが冒険ということだろう。
今日はアドベント(待降節)第3主日です。ベンチャーもアドベンチャーもアドベントも、そしてなんとイベント(行事、事件)も語源は同じ「VEN、VENT」(来る)である。
神が危険を冒してやって来られた。神の冒険的事業がクリスマス。この冒険で神は御子の尊い血を流された。私たち人間の冒険はこの神に応えるのである。神を信頼し、その摂理に信頼して成り立つのである。
現代はベンチャー精神に期待していると言われる。それは実はキリスト教精神に期待しているのではないだろうか。神は今朝、私たちを新しく召しておられる。私たちも神の都を待望し、神を信頼して、この世の旅路を新しく出発したいと思う。「冒険する心」をもって。 【協力牧師 杉野省治】
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2025年12月7日
恐れと暗闇からの解放
堀野浩嗣 牧師
ルカによる福音書1章67~79節
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。 (ルカによる福音書1:78~79)
アドベント‘待降節の第2週を迎え、2025年も残すところあとわずかです。マタイ福音書、ルカ福音書のクリスマスの出来事において、天使は各々に「恐れるな」と語りかけます。そして、それぞれの人生における深い暗闇に神は幼子イエス・キリストの誕生を通して高次元の光と希望を与えられます。今年のアドベント・クリスマスの礼拝をささげる一人ひとりにも主は「恐れるな」と語りかけ、ひとり一人の暗闇にイエス・キリストの光と希望を与えてくださいます。皆さんはどのような「恐れ」と「暗闇」を今、持っておられるでしょうか。恐れと暗闇から目をさらさず、あなたを導く天の星と、飼い葉おけにお生まれになるイエス・キリストに信仰の目を開きましょう。神はあなたを救うために間もなく来られます。
イエス・キリスト誕生の半年前に祭司ゼカリヤと妻エリザベトは喜びと感動に胸を躍らせ、主をたたえずにはいられませんでした。老夫婦を主は憐れみ、子どもを与えられました。アブラハムの約束の成就とイザヤが預言したメシアの誕生を確信する出来事でした。人間的な可能性や希望が何一つない。むしろ恐れや心配、困難や暗闇しかない、そのようなところに主は天からの救いの光で照らされるのです。
私たちには夜明けがいつかははっきり分かりません。しかし、信じ待ち望む人に主は高いところからあけぼの光を必ず注がれます。今は暗闇の中かもしれません。しかし、あなたの後ろからキリストの光は射し出であなたの行く道を平和に導きます。クリスマスのイエス・キリストの到来を待ち望み、主の光りの中を歩みましょう。【牧師 堀野浩嗣】
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2025年11月30日
主のはしためになる
内田泰亮 協力牧師
ルカによる福音書1章26~38節
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカによる福音書1:38)
本日から教会は救い主の誕生を待ち望む期間「アドベント」に入ります。毎年、教会ではアドベントの期間には、救い主の誕生に関連する出来事を指し示す聖書の言葉に耳を傾けます。それは、そこに繰り返し聴くに相応しい、主の驚くべき御業があるからです。忘れてはならない大切なことが示されているからです。
今回の聖書箇所は今まで多くの絵画、音楽、演劇、映画の題材にされた有名な『受胎告知』のシーンです。救い主イエスの誕生を予告する天使ガブリエルと、この予告を受け取るマリア。1対1、神に人が直面する、神の使いと一人の女性が向き合う構図です。
マリアにしてみれば突然の出来事です。考えている時間どころか、心の準備すらもできていませんでした。そしてこの場面の最後において、マリアは受け入れます。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と。
マリアは何を受け入れたのでしょうか。
どうして受け入れることができたのでしょうか。
そして神様は私たちにも、マリアと同じことを問いかけていると思います。
今日は、聖書の中でも有名な、この『受胎告知』の出来事から、神様のメッセージを聞きましょう。
【内田泰亮 協力牧師】
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2025年11月23日
御言葉こそ、神の力
堀野浩嗣 牧師
コリントの信徒への手紙一1章18~25節
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 ・・・・ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(Ⅰコリント 1:18~25)
YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」が大切にしたいこと。その③は「御言葉を人生と生活の力にすること」です。 あなたは毎日どんなものやどんな事に力をもらっていますか?また何をあなたの人生をけん引し、方向付ける力にしていますか?もちろん口から摂取する食べ物、衣食住に必要な経済や仕事、計画を立てそれを遂行する知識やノウハウ、様々な他者との関係や言葉、趣味やレジャー・・・どれも生きるためには必要なものです。しかし、私たちの絶対的な力の源ではありません。聖書は“十字架の言葉”こそ、神の力であると言います。“十字架の言葉”とは聖書66巻が証するイエス・キリストの十字架と復活と再臨の福音です。
しかし、それは聖書の知識や情報、教理や神学を蓄積し、研究することではありません。イエス様が生きてこの世界に人として生まれ、神の言葉の恵みと真理をそのままに十字架を負ってゴルゴタの丘で現わされ、御言葉を生きることによって、御言葉が生きたものになり、本物の神の力となりました。さらに弟子たちも御言葉に生きた時に、聖霊の力が受け、従う者たちを癒し、立ち上がらせ、造り変えたのです。現代でイエス様や弟子たちのように御言葉を信じて従うことは愚かなことかもしれません。しかし、イエス様を主と告白しながら、神の力を受けず、この世の様々な永遠でないものを力とより頼むことはもっと愚かです。YTBCは「御言葉こそ神の力」と、言葉と行い(生活)でイエスを主と告白し、日々の神の力に満たされて歩みましょう。
【牧師 堀野浩嗣】

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2025年11月16日
イエス様を救い主と信じよう
堀野浩嗣 牧師
ローマの信徒への手紙 10章9~11節
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 (ローマ 10章9~11節)
今日は子ども祝福式主日合同礼拝です。今日礼拝に集まった子どもたちを心から祝福し、感謝し共に神様の愛にあふれる礼拝をおささげしましょう。
♪君は愛されるため生まれた 君の生涯は愛で満ちている♪えっ?愛されるために生まれてきたってホント?勉強するため。いい点とるため。いい大人になるため生まれてきたんじゃないの?ただの偶然じゃない?僕は何のために生まれてきたの?
イエス様は2000年前この世に人として来られ、私たちの罪の変わりに十字架に架かかられ、三日目に死からよみがえられました。それは「神様はあなたを愛していること、あなたは神様に愛されていること」を私たちに伝えるためです。今も、イエス様をキリスト(救い主)と信じる人の心には聖霊によって神の愛が注がれます。そしてイエス様を救い主と信じる人たちに救いの平安と喜びが与えられます。
「信じる」というのは、ただ「知っている」とか「分かっている」ではなく、「信頼する」ということです。目には見えないけれどイエス様はどんな時も、どんなことからも私を守って助けてくださると信じてイエス様の手を握りましょう。
そして、私たちが一緒(公に)にお父さんも、お母さんも、兄弟も、礼拝に集まった一人ひとりも、みんなで一緒に、心を合わせ、声を合わせ、「イエス様は救い主、私たちの主です」と告白しましょう。「主を信じる者は、だれも失望することはない」のです。あなたに神様の愛と祝福が豊かにありますように!ハレルヤ、アーメン!
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年11月9日
神の臨在の中で祈る
堀野浩嗣 牧師
詩編27編4~8節
主よ、呼び求めるわたしの声を聞き / 憐れんで、わたしに答えてください。
心よ、主はお前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。 (詩編 27章7~8節)
YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」が大切にしたいこと。その②は「神の臨在の中で祈ること」です。現代は様々な課題が国や社会、家庭や個人いたるところにたくさんあります。そのような将来に対する恐れや不安の多い時代の中で、私たちは何を最も求め祈ればよいのでしょうか。あなたは何を求めて祈っていますか。どのような場所で、だれと、どのように、何を・・・祈るか、キリストのみ心によるTPO【Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)】を意識して祈ることを大切にしましょう。しかし、それ以上にどんな時も神の臨時の中でお祈りしましょう。イエスさまは祈る私の目の前に絶えずおられます。祈りは儀式や呪文や念仏、自己念じではありません。
詩編の多くの詩と祈りを残したダビデの生涯は敵との戦いや危機の連続でした。しかし、彼はそれらに対する勝利や平安を求める前に、「神の臨在(御顔)」そのものを求めました。ダビデの祈りの中心は問題解決や敵が滅ばされることではなく、神の臨在の中に生きること、つまりどんなことがあろうとも主の家に住み、主との交わりの喜びと慰めに満たされることでした。そして、神の臨在の中で祈ることのよってダビデは、主の守りと回復を幾度も体験し、さらに「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」と神に応答するのです。
私たちも日々の課題の解決や必要を求める祈る前に、主の臨在(御顔)を尋ね求めましょう。すべての歩みに先んじて一人ひとりが一致して神の御顔を見上げ、神のみ心を受けとっていく時、神の国の喜びと平安に満たされ、あなたの周囲にその恵みと栄光があふれ出していくのです。
【牧師 堀野浩嗣】

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2025年11月02日
永遠の命がわき出る礼拝
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書4章7~24節
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。 (ヨハネによる福音書 4章23~24節)
YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」がどんなことを大切にキリストの体なる教会を造り上げて行けばよいか、アドベント・クリスマスを前に聖書のみ言葉から共に主イエスに聴いていきたいと考えます。また、私が今、教会の頭である主イエスに示されていることを皆さんと分かち合わせていただきたいと思います。
私たちYTBCの中心はイエス・キリストです。そして、私たちはイエスさまがそうされたように365日朝も夜も霊と真理を持って父なる神を礼拝します。私たちも、この世界も、宇宙も父なる神を礼拝し、賛美するために造られました。人は礼拝(worship)することで心を満たされる生き物です。しかし、多くの人は偶像や人やお金や自然・・・いつか朽ちる物を礼拝して心を満たそうとしています。その人が礼拝しているものが、その人自身の価値の写しです。イエス・キリストによって罪を取り除かれ、父なる神を知り、霊と真理をもって礼拝するとき、私たち一人ひとりの内からすべての渇きを潤す永遠の命の水がわき出します。場所や人や行いやプログラムという外面的礼拝でなく、イエス・キリストと共に霊(主との人格的交わり)と真理(み言葉の実践)をもって、日曜日の主日礼拝から月曜~土曜日の1週間を歩む礼拝生活を求めて行きましょう。YTBCに集うすべての世代が日々の礼拝を通して父なる神の愛に満たされ、一人ひとりが永遠の命がわき出るところになるように心よりお祈りいたします。あなたの渇きを潤す命の水の泉が今開かれます。それを受け取りましょう!
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年10月26日
神の恵みの管理者
堀野浩嗣 牧師
ペトロの手紙一4章7~11節
7万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。 8何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 9不平を言わずにもてなし合いなさい。 10あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 11語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。
(ペトロの手紙一 4章7~11節)
聖書で使徒ペトロは「万物の終わりが迫っている」と語ります。聖書が預言する終末とキリストの再臨の時は必ず来ます。それがいつかは分かりません。しかし、必ず来ます。むしろ今の世界の状況を見ると、環境、政治、社会の深刻な終末的様相に心を暗く、不安にするかもしれません。ですが、聖書の福音に立ち、終わりの時代を生きる私たちキリスト者は、恐れや焦りではなく、落ち着いて神の恵みを委ねられた管理者として生きることが求められています。そのために祈りの中でまずは自分に与えられた神の恵みと賜物に目を留め、神への感謝をささげましょう。
私たちには個人にも教会にも多くの賜物が神の恵みによって与えられています。しかし、その賜物を何のために、どのように用いるのかが重要です。ペトロは何よりもまず、「心を込めて愛し合うこと」、「もてなし合う(仕え合う)こと」を優先順位の一番に挙げています。私たちが神から与えられた恵みの賜物を、自分の栄光や必要や欲望のためではなく、キリストに倣って「愛し合い」「もてなし合う」ことに率先していく良い管理者になりましょう。それによって終わりの時代に神の栄光が輝きます。
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2025年10月19日
召天記念主日礼拝
目標を目指してひたすら走る
堀野浩嗣 牧師
フィリピの信徒への手紙 3章12~14節
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 (フィリピの信徒への手紙 3章13~14節)
本日は2025年度の召天記念主日礼拝です。先に天国に召天凱旋された被召天者のお一人お一人の信仰の生涯を覚えつつ、イエス・キリストを通して与えられる永遠の命と復活の信仰によって天と地が一つに結ばれた礼拝をささげましょう。故人を祈念する礼拝式がキリスト教会ではさまざまな名称で行われます。永眠者記念礼拝、召天者記念礼拝etc 正解はありません。ただ、私たちが大事にしたいことは「昇天」ではなく「召天」であるということです。だれもこの世界に自分の力で生まれることも、天国に自分の力で昇ることもできません。主なる神様によって母の胎に命与えられ、地上の生涯を備えられ、その歩みの中で神様に出会い、ある時神様に召されて、救い主イエス・キリストの慰めと導きによって天に挙げられるのです。それらはすべて主の恵みです。主よ、感謝します。
先日NHKスペシャルを見ているとあるアンケートで「長生きすることに喜びはない」と答えた日本人は約2~3割でした。これほど豊かで美しく、平和で安全な国、日本でどうしてこんなに多くの人々が生きることに喜びを失っているのでしょうか。また、昨年の小中高生の自殺者は529人です。一週間に10人が自ら命を絶っている状況です。目指すべき目標を社会が見失っているのかもしれません。使徒パウロは「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ること」に生涯を傾けるように教えています。それによって私たちはみんな生きる喜びと希望を主によって与えられ、その幸福を分かち合うことができるのです。
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2025年10月12日
主日礼拝
イエスが祈られた祈り~共におらせてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章24~26節
父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。(ヨハネによる福音書17章24節)
今年度に与えられた教会テーマ「勇気を出しなさい」(ヨハネ福音書16:33後半)にそって5か月間イエスさまのみ言葉に聞いてきました。私たちの勇気の源はどこにあるでしょうか?あなたは発見することができましたか?もう勇気100倍ですか?
イエスさまは最後の晩餐の席上でのメッセージの最後に父に祈られました。それは「共におらせてください」です。どんな時も、どんな場所でも、どんな出来事に直面しても、主イエスは共におられます。そして、信仰の目を開いて、聖霊によって主イエスが共におられることを確信する人に神の愛と、キリストの栄光の光はいつも惜しみなく注がれます。また、それだけではありません。主が共におられることを信仰の現実として、日々の生活を歩み続ける人々を通して、キリストはご自身の愛と栄光をあなたの周囲の人々にあなたの日々の生活や人生を通じてはっきりと示されます。あなたの日常に主は共におられるのです。どうぞ勇気を出しましょう。「たっすいがー」(弱々しい、頼りない)のままではなりません。主イエスは生きて共におられ、あなたの祈りと願いに聞いておられます。そして、あなたの人生が神の愛に満ちて、神の祝福と平安に満たされるように主イエスは導いておられます。主イエスに信頼して歩んでいきましょう。
今年も残すところ、残り3か月を切りました。2か月後には今年のアドベント・クリスマスです。インマヌエル(主は我らと共におられる)のイエス・キリストの誕生を心から祝い、ひとりでも多くの人々に伝えましょう。
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2025年10月5日
主日礼拝
イエスが祈られた祈り~父の愛で一つにしてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章20~23節

わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。(ヨハネによる福音書17章23)
先週行われた特別主日礼拝と午後の教会セミナーの恵みを大いに主に感謝いたします。午後のセミナーでは講師の角本先生を通して、教会は牧師・信徒中心ではなく、常にキリスト中心である事。また、神様の宣教の御業と収穫のために祈り参与させていただく信仰姿勢が大切であることをあらためて学びました。目の前の向かい風や追い風に一喜一憂することなく、教会の頭であるイエス・キリストを心から信頼して、聖霊の導きを求めて、キリストにあって一つとされて前進いてまいりましょう。今年もあと3か月、キリストに在って心を一つにされて、クリスマスに向かって神の愛を宣べ伝えていきましょう。
イエスは後の世の全てのクリスチャンと教会のために祈られました。どんなことを主は私たちのために祈られたでしょう。父と子が一つであるように、私たちも主と一つになること。そして、私たちが主の愛によって一つとされて、この世にキリストの完全な愛の力を現わすようになることです。人間の主義主張や神学や方法で一致するのではありません。誰かに誰かが合わせるのでもありません。人間中心に合わせようとすれば必ず分裂や不一致が生じます。そうではなく天の父のみ心に一人ひとりが心と歩みを合わせ、主の栄光を求める時、私たちはキリストの十字架の愛によって、癒され、満たされます。そして、祈りと礼拝を通して聖霊の助けをいただき、互いに愛し合い仕え合い、キリストにある一致を求めるとき、この世にキリストの勝利を証しするようにされるのです。
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2025年9月28日
主日礼拝
弱さから立ち直る希望
角本尚彦 牧師
ルカによる福音書22章31~34節
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
(ルカによる福音書22章31~34節)
ハレルヤ!特別主日礼拝にようこそお越しくださいました。本日の主日礼拝は青森バプテスト教会より、角本尚彦牧師をお招きして礼拝を主にささげます。天地を造られた父なる神様も、救い主イエス・キリストも、私たちに神の愛と恵みを教え、キリストに導く聖霊も肉の目には見えません。しかし、心を天に向け礼拝をささげる一人ひとりに、賛美と祈りと聖書のみ言葉を通して、主はご自身を現してくださる霊なるお方です。主の豊かな祝福と導きが今日礼拝をささげられるお一人お一人に与えられ、イエス・キリストにお会いできますように。そして、父なる神の永遠の愛と栄光の力によってきよめられ、癒され、新しくされるように心よりお祈りいたします。
(横浜戸塚教会 主任牧師 堀野浩嗣)
角本尚彦(かくもと なおひこ) 牧師プロフィール
1969年生まれ。長崎出身の妻と5人の子どもたち(うち一人は里子)。
青森バプテスト教会牧師。王恵幼稚園理事長。フードバンクいのちのパン青森代表。東奥義塾高校聖書科非常勤講師。防災士。
趣味は映画鑑賞と未伝地のプレイヤーウォークと写真、水泳、コーヒー焙煎。
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2025年9月21日
主日礼拝
イエスが祈られた祈り~聖なる者としてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章16~19節

真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
(ヨハネによる福音書17章17~19節)
先週の15日月曜日に第1回地域宣教ラウンドテーブルと題して、逗子第一、藤沢、湘南台、横浜戸塚の神川南部にあるバプテスト連盟の4教会から18名が参加して、礼拝、証し、祈りの懇談交流会を持ちました。開会礼拝では杉野省治先生から「地の塩、世の光」(マタイ5;13~16)の題で、教会とクリスチャンが地の塩としてこの地域や世界に神の愛と福音を浸透させ、世の光としてキリストの栄光を顕現させて行く使命を受けとりました。また4教会を中心に今後もラウンドテーブルを持ち、共に福音宣教のために祈り協力し合うことを確認しました。
さて来週28日日曜日はいよいよ青森バプテスト教会から角本尚彦先生をお招きしての特別主日礼拝と教会セミナーです。特に午後の教会セミナーは「21世紀の地域教会の使命とビジョン」というテーマで角本先生を囲んで分かち合いと祈りの時間を持ちます。主の恵みあふれる時となると思います。どなたでもご参加ください。
「聖なる」(ハギアゾー)」=特別な目的のために区別・捧げるという意味です。イエスは弟子たちを世から取り除くのではなく、むしろ世にあって神に属し、キリストに倣う者として守られるように祈られました。そのために必要なのは「真理による聖め」です。真理とは主の御言葉です。自由主義の相対的多元的な価値観が世を支配しています。しかし、私たちは御言葉を永遠の真理として信じ、受け入れることによって聖霊によって聖められ、守られ、この世において、キリストに倣いキリストの愛と救いを地の塩、世の光として浸透させ、顕現する者として用いられるのです。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年9月14日
主日礼拝
イエスが祈られた祈り~悪い者から守ってください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章6~16節

わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
(ヨハネによる福音書17章14~16節)
先週、7日の夜、石破茂日本国首相が自民党総裁退陣を表明しました。また、10日アメリカの活動家チャーリー・カーク氏がユタ州の大学のイベントに登壇中に暗殺されました。それぞれ立場や働き、主義主張は異なりますが、聖書の神を知り、キリストを信じるクリスチャンです・・・。
世界の混乱、分断、対立が激しくなり、各国も各個人も調和・一致でなく、自国第一主義・自分ファーストに奔走しています。国際政治に詳しくないわたしのような者であっても、今の世界情勢には不安を感じてしまいます。地上を支配する悪魔の策略に世界全体が深くはまり込んでいると言えるでしょう。そして、何よりも真の神を知り、神の言葉に聞き、とりなし祈り、この世界にキリストの栄光と愛を聖霊に助けられて証しするクリスチャンや教会が激しい悪魔の攻撃を受けている現状です。まさに悪い暗闇の時代と言えるでしょう。わたしたちは、どう生き抜いていけば良いのでしょうか?
主イエスが祈られた祈りに勇気づけられましょう。主はあなたを悪い者から守ってくださいます。主イエス・キリストは、私たちを愛され、私たちを守り救うために十字架にかかり贖いを成し遂げられたのです。あなたが主イエスを信じて生きるなら、主は、主のみ名によってあなたを保護し、悪に勝利し、お守りくださいます。そして、あなたの人生にキリストの愛と栄光の実は必ず実を結び、他者のための愛と光として用いられます。どのような悪しき時代あっても、主を信頼しつつ歩み続けましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年9月7日
主日礼拝
イエスが祈られた祈り~栄光を与えてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章1~8節
イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。・・・」(ヨハネによる福音書17章1節)
皆さんはどんなことを毎日神様にお祈りしておられますか?どんな祈りであっても主はその祈りに耳を傾けておられます。一人ひとりの主への祈りの奉仕が御霊に満たされ充実するように心よりお祈りいたします。
さて今日から学ぶヨハネ福音書17章は「イエスの大祭司の祈り」と言われる箇所です。「主の祈り」として有名なマタイ福音書6章9~14節の祈りはイエスさまが弟子たちに教えた祈りですが、今日の箇所は実際にイエスさまが祈られた祈りと言えます。イエスさまはどのような祈りを十字架の苦しみを前にして愛する弟子たちと共に祈られたのでしょうか?
イエスさまは自分の人生を父なる神が備えておられる時に委ねられました。神の御思いと神の御手の中に十字架も復活も、苦難も誉も喜びもあるのです。私たちのすべては自分の計画や時ではなく、主の時の中にあります。主の最善が時、すべて完成すると信じ、明け渡して祈りをささげましょう。
イエスさまは父の栄光を求めて祈られました。自分の栄光でも、この世の人間的栄光や成功でもありません。ただ父の栄光が現わされることを求めて祈られました。父の栄光は、無から有を生み出す創造の光です。そして、父の栄光は乙女マリアに聖霊によって人として生まれ、十字架に架けられ3日目に復活されたイエス・キリストを通して現わされます。人間の成功や功績や能力の光はやがて消えていきます。しかし、キリストの栄光は永遠の命です。どんな暗闇にもさんぜんと輝き、命と希望を与える光です。イエスさまが祈られたように、この世界に、教会に、地域やそれぞれの家庭や人生にキリストの栄光を祈り求めましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年8月31日
主日礼拝
悲しみが喜びに変えられる日
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書16章20~33節
【ヨハネによる福音書16章23~24節】
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。
あなたは人に期待していませんか?人への期待は必ず失望や不満、時には怒りや憎しみにさえ変わります。人の言葉や行い、人の数、人の働きや能力、お金や成功、若さや健康・・・何をもってしても人は人をどうしようもない悲しみや死の暗闇から救い出すことはできせん。わたしたちはどんな時も、自分自身も含めて人への期待ではなく主に期待しましょう。そして、救い主イエス・キリストの御名によって祈りましょう。わたしたちが主イエスの御名をあがめ、祈り求めるならば主はわたしたちを栄光から栄光へと日々つくり変えてくださいます。そして、主の恵みによって悲しみを天の喜で、暗闇を復活の光で、憎しみを十字架の愛で、死を永遠の命で日々満たしてくださるのです。
イエスの弟子たちも、ナザレのイエスという人の力に期待し、頼っていたのでしょう。残念ながらその期待は十字架の前で木っ端みじんにされ、彼らは悲しみと絶望に満たされてしまいます。けれどその時のために主イエスは今日のみ言葉をあらかじめ与えておられたのです。「わたしの名によって願いなさい。悲しみは喜びに変えられ、喜びに満たされる」。悲しみに鈍感になり、悲しみに目を背け、別のもので自分の心の渇きや痛みを満たすことに慣れてはいけません。今日、自分の心を主の前にあけ放ち、十字架と復活のイエス・キリストの御名で祈り、魂を主に触れられ悲しみを喜びに変えていただきましょう。「あなたがたには苦難がる。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。今日の礼拝が悲しみが喜びに変えられ、主の勝利を拝する日となるようにお祈りいたします。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年8月24日
主日礼拝
何度でも御心を祈り求める
井東 元 執事
ルカによる福音書22章39-46節
【ルカによる福音書22章42節】
父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。
ルカのオリーブ山の記事は、主が「いつものように」祈られ、御心を何度も求められたことを強調します。主はまず「この杯を…取り除けてください」と正直に願いつつ、ただちに「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに」と祈られました。同一箇所に二度出る「御心」は、祈りの中心が自己実現ではなく神の御心の実現にあることを示します。さらに「離れ」(引き裂かれて)の語と「石を投げて届くほど」という表現は、十字架の死を予感させる緊張と孤独を描きます。弟子たちは悲しみのうちに眠り、霊的距離が生じました。それでも主は孤独の只中で御心を求め続けられました。ルカは他の重要場面(洗礼、癒し、十二弟子の選び、ペトロの告白)にも「祈っておられた」と付記します。「いつものように」は、この日常の繰り返しの祈りを指し示します。祈りとは願いをぶつけるだけでなく、御心を聴き取り受け入れる順服の業です。青森バプテスト教会の働き――フードバンクとの協働、地域に開かれたコミュニティカフェ、多様な子どもを受け入れる幼稚園――はいずれも開かれた食卓と受容という福音の具現でした。私たちも教会主題「勇気を出しなさい」を掲げ、暗闇に祈りの松明を掲げつつ、どんな時にも御心を繰り返し祈り求め、愛と交わりを開く群れとして歩みましょう。ルカが使徒言行録へと希望をつなぐように、祈る群れに主は必ず働かれます。この祈りの歩みこそ、試練や孤独に引き裂かれる時にも、信仰を保ち、兄弟姉妹を力づける源となります。
【井東元 執事】
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2025年8月17日
主日礼拝
苦しみを共に、慰めも共に
内田泰亮 協力牧師
コリントの信徒への手紙 二 1章3~11節
【コリントの信徒への手紙二 1:4】
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
8 月も半ばとなりました。家族で旅行をされた方もいらっしゃると思います。私は家族旅行で軽井沢に行き、また長野県上田市にある「無言館」という美術
館を見てきました。「無言館」は戦争末期に招集され戦死された美術学生が家族に残した絵画を、家族から託され展示している美術館です。色々な絵が展示されていました。暗い絵もありましたが、家族や故郷を描いた絵か多かったと思います。そのどれも描いた人の優しさや愛が伝わってくる絵でした。
現代でも世界各地で戦争や紛争が起こっています。苦しんでいる人がたくさんいます。また平和な現代日本でも、様々な苦しみの中にいる人がいます。
苦しむ人の心を苦しみから解放する、苦しむ人を慰めるには、どうしたらよいでしょうか。誰かを愛するには、自分自身が愛を知っている必要があります。愛されている必要があります。本当の完全な愛を与えてくれるのはイエス・キリストの十字架と復活だけです。イエス・キリストの十字架と復活によって救われた人こそが、隣人を愛し慰め、そしてイエス・キリストの愛と慰めに導くことが出来るのです。
そうして世界中の人が慰められたなら、イエス・キリストの愛によって心が苦しみから解放されたなら、戦争は、その深い根から、なくなっていくと思います。
【協力牧師 内田泰亮】
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2025年8月10日
主日礼拝
キリストのみ心を聖霊が教えてくださる
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書16章1~15節
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 (ヨハネによる福音16:13~14)
連日日本各地でこれまでにない暑さを記録しています。また、世界各地でも異常な高温と異常気象による豪雨災害が頻発しています。人間同士が領土や資源や富、互いの主義主張を固持して争い合っている場合ではありません。ロケットに乗って月を目指したところで、どのみち人間はこの地球でしか生きられず、神が与えた良き環境を享受して生きるしかなく、どんな主義主張を叫び、力で威嚇しても、人は永遠ではなく、神のようになることはできないのです。分をわきまえ、自分に神が与えた使命に全身を向けへりくだり、互いに愛し合い生きる時に、平和は平和の主である父なる神からもたらされます。
主に心を明け渡し、主の前にひざまずき天の父を礼拝しましょう。賛美と祈りにより主の臨在に満たされ、キリストが与える平和を自分自身の魂に受け取りましょう。あなたの魂は今平和ですか?肉体的精神的な疲れ、先の見えない恐れや不安、目の前の大きな壁や暗闇の中でも、良い羊飼いであるイエスさまがあなたと共におられ平和に導かれます。羊は真の牧者の声を聞きとり従います。それがわたしたちの明日を左と右に分けます。聖霊があなたの心に語りかけるキリストのみ心を日々聞きとり、その声に聞き従いましょう。現代は正直者が馬鹿を見る、フェイクや嘘、誇張やごまかしが至るところに満ちています。何が真実で何が嘘なのか、だれが見方で誰が敵なのか、考えれば考えるほど分からなくなります。しかし、聖霊がキリストのみ心、真の平和の道、キリストの知恵、いのちの祝福の選択を教えてくれます。そして、聖霊によってキリストのみ心を聞き従う人はキリストの栄光を輝かせる者として、この平和の灯りが消え失せそうな時代により明るく輝くのです。聖霊の助けによってキリストの栄光を輝かせましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年8月3日
主日礼拝
教会は主により頼む
堀野浩嗣 牧師
エフェソの信徒への手紙6章10~20節
【エフェソの信徒への手紙6:10~13】
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
8月に入りました。厳しい危険な暑さが続いています。お一人お一人の健康と日々の生活が主のみ翼の影に守られるように心からお祈りいたします。
日本において8月は平和を覚えて祈る時です。特に今年は太平洋戦争終結から80年を迎えます。戦争体験の証言者が少なくなり、生々しい戦争と平和の証言を聞くことが少なくなっています。一方で世界は武力を前提とした政治や国家形成に進む国々が増えています。人々の不安は強まり、自衛の名のもとに武力を増強する自国中心の考え方が支持を得ています。「平和を実現する者は幸いである」(マタイ5:9)のイエスの言葉に心を向けつつ、8/6広島原爆記念日、8/9長崎原爆記念日、8/15終戦記念日を覚え、世界に主イエス・キリストの十字架の贖いの血潮によって癒しと和解と平和がもたらされるようにとりなしの祈りをささげましょう。(8/10平和を覚える主日礼拝)
私たちキリストの教会はこの世の人間が生み出す富や武器、人間的な結びつきや知識によって強くなるのではありません。自らの罪と弱さを心底自覚し、いつも悪魔の策略に翻弄される私たちである事を自認し告白ます。どんなときも主により頼み、イエスが教会を愛されるように、互いに愛し合うならば、主はその偉大な力によって教会とクリスチャン一人ひとりを強めて、暗闇の力か救い出してくださいます。既に神の武具は私たちに与えられています。古びてさび付いていても、ほこりを払い磨きなおせば力を発揮します。神の武具を身に着け、信仰の戦いに出かけていきましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年7月27日
主日礼拝
自分を愛するように…。
小平公憲 牧師
レビ記19章17~18節
【レビ記19:18】
復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
≪小平公憲 牧師プロフィール≫
1960年生まれ。神奈川県出身。
大学卒業後、神奈川県の公立中学・高等学校・教育委員会の教員・職員として35年間勤める。東京バプテスト神学校神学専攻科を卒業。2024年4月より当教会 牧師
20代でバプテスマを受け、30代で横浜市港北ニュータウンに新規伝道に参加。横浜ニューライフバプテスト教会出身。
一女一男の父親。趣味は神奈川県近隣の野山に出かけること。ドライブ
今日は年に二回予定されている逗子第一バプテスト教会との交換講壇の今年度第1回目です。私たちの教会は2023年度より逗子第一バプテスト教会とパートナーシップ協力伝道を行っています。互いに祈りと福音宣教のパートナーとなって互いに祈り会、交わり、愛し合う関係づくりを目指しています。クリスチャンの目に見える力や教会の数や規模、働きに関係なく、主は互いに祈り合い、交わり、愛し合う人々の間に共におられ、ご自身をそこに表し、聖霊によって神様の愛と力を満たしてくださいます。教会どうしも、クリスチャンどうしも、そのような神様の大いなる恵みを一緒に味わってまいりましょう。それがわたしたちの一番の喜びです。そして、さらにそのようなキリストにあって一つとされる交わりとパートナーシップが広がっていくように祈りましょう。今日捧げられる逗子第一教会、横浜戸塚教会それぞれの礼拝の上に神様の豊かな祝福がありますようにと心からお祈りいたします。(横浜戸塚教会 主任牧師 堀野浩嗣)
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2025年7月20日
主日礼拝
理由なき憎しみと理由なき愛
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書15章18~27節
【ヨハネによる福音書15:25~26】
25しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。
26わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。
あなたはイエスさまの友として歩んでいますか?それともこの世の友ですか?イエスさまは弟子たちに、私につながって歩み、私の命令に従って互いに愛し合うなら、あなたがたはわたしの友だとおっしゃいました。けれど同時にイエスさまの友として歩むとき、この世からは憎まれ、迫害を大なり小なり受けるのです。あなたはイエスさまの友として歩むがゆえの迫害や試練を通っていますか?もしYESなら、喜びましょう。あなたはイエスの友です。そして、既に神の国はあなたのところに来ています。どんなことがあろうと、イエスさまはあなたの親友です。そして、あなたがどんな状態だろうと、主はあなたを理由なき愛で愛し抜いてくださいます。主がアブラハムを愛し、モーセやダビデ、イスラエルを愛されるように。そしてイエスさまが弟子たちを愛し、迫害者パウロを愛されたように。
それでも人生の試練や迫害、様々な恐れや悩みの中で、誰の声を聞いて、自分の友が誰なのか?世の友に振り回されたり、自分は神から見捨てられていると感じたり、クリスチャンとしてどのように歩めばよいか分からなくなることがあります。でもそのような日のために主イエスさまは弁護者なる聖霊を与えると約束しておられます。あなたが分からなくても、あなたが何もできなくても、大丈夫です。イエスさまが弁護者として聖霊をあなたの内に与えています。私たちがイエスさまからはなれそうになる時のために、聖霊を与えておられるのです。あなたの内におられ、あなたを理由なしに愛される、聖霊の呼びかけと励ましを受けとりましょう。聖霊がイエス・キリストが真理であり、救い主であり、愛であることをあなたの代わりに証しして、神の国の支配をすでに来ています。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年7月13日
主日礼拝
イエスと出会ったその日から
宝田豊 牧師
フィリピの信徒への手紙3章5~9節
☆みなさんおはようございます。毎日体温を超えるような厳しい暑さが続いています。一人ひとりの健康が支えられ、主の御翼の影に守られて歩むことができるようにお祈りしてまいりましょう。今年も宝田豊先生をお迎えして共に礼拝を捧げることができることを主に感謝いたします。温かく、力強い宝田先生の口から語られる主のみ言葉を通して一人ひとりを主が導いてくださるように心よりお祈りいたします。また宝田先生のお働きと健康の祝福のためにお祈りいたしましょう。
宝田豊牧師プロフィール
●東京都出身。クリスチャンであった実兄によって信仰に導かれ、1966年、バプテスマを受ける。1976年に渡米。1983年、クリスウェル大学修士課程を終了。1984年、リチャードソン市でノーステキサス日本語バプテスト教会を始める。2013年、30年の牧会後、対外宣教牧師として、日本とアメリカを往復しながら、日本各地での伝道とテキサス各地の伝道に奔走しておられます。
☆ビジョントリップin青森のためにお祈りくださり感謝いたします。3日間の短い時間でしたが、青森バプテスト教会の角本牧師夫妻、前任牧師の佐々木牧師夫妻、そして教会の兄弟姉妹の皆さんと本当に豊かな交わりをいただくことができました。そして、共に礼拝し、祈り、青森バプテスト教会に働かれる主の御業と御思いを一つ一つの証を通して知ることができました。そして、参加したメンバーと共にこれからの横浜戸塚教会の歩みや地域宣教、日本宣教のために深く祈り、主の導きを示される濃密な3日間でした。参加されたお一人お一人お一人の証や感想は8月と9月にかけてお話いただく予定です。また9月の最後の日曜日には青森バプテスト教会の角本尚彦先生が横浜戸塚教会に来てくださり、礼拝メッセージと午後のセミナーを行ってくださいます。ぜひ今から祈りつつご予定ください。そして共に自分自身の主からのビジョンと、また横浜戸塚教会のビジョンを祈り求め、主に聞いてまいりましょう。
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2025年7月6日
主日礼拝
いのちの私物化
杉野省治 牧師
マルコによる福音書12章1~12節
今朝の聖書個所は、ぶどう園の農夫のたとえ話。ぶどう園の主人は神、ぶどう園はイスラエル、僕たちは預言者、農夫たちはイスラエルの民、愛する息子はイエス、他の人たちとは新しい神の民、教会のこと。だからここでは、神(ぶどう園の主人)はイスラエル(ぶどう園)に預言者たち(僕たち)を遣わすが、その民たち(農夫たち)は彼らを侮辱し、あるいは迫害し、あるいは殺害してしまう。最後に神はイエス(愛する息子)を遣わすが、農夫たちは息子をも殺してしまう。それゆえに神は彼らをさばき、新しい神の民、教会(他の人たち)に与えるであろう、ということになる(9節)。
ぶどう園というのは造るのに土地を耕し、木を植えるだけでなく、獣を防ぐ垣根を作り、やぐらを立て、酒ぶねの穴を掘るなどの準備をし、収穫が終われば、すぐぶどう酒を作れるようにいろいろな設備や道具一切を準備しなければならない。このように準備を整えたものを農夫に貸すのである。ここに、私たちの人生、あるいは信仰は神からの借り物であることが教えられている。イスラエルの民が神に愛された選民であることは神の大きな信頼を受けているということである。だから貸すのである。それはただただ神からの恵みである。同様に、私たちキリスト者にも神の大きな期待が寄せられている。それだけに私たちは神から問われなければならない存在である。イエス・キリストを知り、神の愛を知らされた者は、十字架の愛に応えて、どのように生きているのかという厳しい問いを受けるのである。そこに、神の愛を知った者、キリスト者には神に対して大きな応答の責任がある。
私たちのいのちは、神から与えられたものであり、かけがいのないものである。私のものであって、私のものではない。だから、いのちを私物化してはならない。イスラエルの民はぶどう園を私物化しようと、神からの問いを否定し、抹殺しようとした。それがイエスの十字架である。それを主イエスは指摘されたのである。
【杉野省治牧師】
公開日:
最終更新日:2026/01/18

