主日礼拝メッセージ(Sermon)
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2025年1月26日
主日礼拝
自分の量る秤で
堀野浩嗣 牧師
ルカによる福音書 6章37~42節
37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
*自分の量る秤で量り返される
イエスは「あなたがたは自分の量る秤で量り返される」 という聖書の神の原則を教えています。 もし、商売人が商品を売る時の秤と買う時の秤を替えていたら不正義です。正義とは同じ秤を使うことです。ところが人間は身勝手で、自分を量る秤とは違う秤で人を量ります(自分に甘く人に厳しい!)。 あなたはどんな秤を心に持っていますか?
**愛するからこそ尊い
イエスは自分を犠牲にして、敵さえも愛する生き方を貫きました。また弟子たちにも敵を愛し、親切にし、祝福し、祈り、裁くのをやめ、赦し、求めるものを何でも与えるように命じています。それは愛することに「尊さ」や「幸い」を生み出す偉大な力があるからです。「なぜなら神は愛だからです」(Ⅰヨハネ4:8) 愛されるから尊いのではありません。愛するから尊いのです。
***目の丸太を取り除き、神の秤で生きる
他人のささいな欠点や問題ばかりが気になる時、人の欠点が目に付いても、自分にはその十倍あると考えて口をつつしむ方が賢明です。とかく人の行いが気になるときは、自分の心に問題があると考え、もっと問題ある私をそれでも愛し、赦し、受け入れてくださっているイエス・キリストの十字架の梁に目を向けましょう。目が開かれ、神の秤が備わります。
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2025年1月19日
主日礼拝
新しいぶどう酒は新しい革袋に
堀野浩嗣 牧師
ルカによる福音書 5章33~39節
37また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。 38新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
*主が求めている真の断食 (33~35節)
主は私たちに形式的な食事をしない行為としての断食を求めてはおられません。主が求めておられる断食とは預言者ヨエルが預言したように、「心を引き裂いて、主に立ち帰ること」(ヨエル書2:12~15)です。外面を飾ることや人に見てもらうパフォーマンスではなく、わたしたちが心から主に立ち帰るなら、主は新しいぶどう酒(神の祝福と新生のいのち)をわたしたちの人生に満たされます。
**つぎはぎの信仰生活になっていませんか? (36節)
その場しのぎ、即席、対処療法・・・ばかりの信仰生活や礼拝生活はいずれぼろがでます。抜本的に一新しなければなりません。古い衣を脱ぎ捨て、全面的に新しい人を身に着けて、人生を歩めば心は晴れやか、生活は快適です。キリストはあなたに新しい衣を着せるためにこの世に来られ、十字架を背負われたのです。
***新しいぶどう酒は新しい革袋に (37~39節)
新しぶどう酒を古い革袋(山羊や羊の革)にいれることはできません。同じように、キリストが与える約束と祝福の完成の祝福と恵みは古いままの私(捨てられない自我、自分を縛る律法主義、聖書以外の常識・・・)には入れられず、両方ともダメになる。再臨のイエスと共にぶどう酒を飲むその日のために、新しい革袋を新年、新年度に準備しましょう。新しい革袋は1匹の小羊を犠牲にしてこしらえなければなりません。それは十字架のキリストご自身であり、十字架の信仰で主にすべてをささげ、委ねる私自身です。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年1月12日
主日礼拝
「聖霊に導かれる人生」
ルカによる福音書 4章1~13節
堀野浩嗣 牧師
【 ルカによる福音書 4章1~13節 】 (聖書協会共同訳)
1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川から帰られた。そして、霊によって荒れ野に導かれ、2四十日間、悪魔から試みを受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるよう命じたらどうだ。」 4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。 ・・・
*新成人の皆さん、成人おめでとうございます!
今年新成人を迎えた109万人(2006年生まれの18歳)の皆さん、成人おめでとうございます。成人式のルーツは子供の衣から大人の衣に衣替えをすることだそうです。聖書は「キリストによって古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着るように」と薦めています。表面を飾るのではなく、キリストを心に受け入れ、神に愛されて生かされている事を知り、イエスの十字架と復活の義(救い)と命で満たされ、覆われる人生を生きていきましょう。
**荒れ野の人生で悪魔から受ける3つの誘惑
この世は荒れ野であり、私たちは生涯、暗闇を支配する悪魔の誘惑に晒されます。イエスさまも私たちと同じように荒れ野で悪魔の誘惑を体験されました。 ①欲望を満たしたい。 ②権力や富を手にしたい。 ③神に挑戦し、自分が神のようになりたい(罪)。
***勝利のメソッドは聖霊に満たされ、聖霊に導かれること
イエスさまはどのようにして人生の荒れ野で遭遇する悪魔の誘惑に対処したでしょうか?勝利のメソッド(方法)は聖霊に導かれて荒れ野に出て行き、聖霊によってすべてを満たし治められる神に全面的に信頼することです。人間的な知識や能力や世の力で戦えば悪魔の思うツボ、悪魔は何枚も上手です。むしろ、素朴な信仰で、み言葉の約束に信頼し、主にのみ仕え、従うという姿勢で、主に信頼しきれば、悪魔は何もできないのです。
【牧師 堀野浩嗣】
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2025年1月5日
主日礼拝
「「大胆に神に近づく~主の年2025~」
【 エフェソの信徒への手紙3章8~13節 】
堀野浩嗣 牧師 
8 この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 9すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 10こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、 11これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 12わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。 13だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。
*秘められた神の計画が実現する主の年2025年
新年あけましておめでとうございます! 皆さんの新年の抱負や願いは何でしょうか?私たちの願いよりも、神様の偉大な救いの御業が私たちの1年を通して実現するように祈りましょう。聖霊が万事益として働き、私たちの祈りと願いを超える主の御業が成されます。
*キリストに結ばれ、信仰と確信をもって大胆に神に近づく
あなたはキリストに結ばれていますか? つながっていなければ天の祝福と力と喜びは人生に流れて来ません。 キリストのみ言葉への信仰と確信を持って大胆に神に近づいて、キリストにつながり続けましょう。(ヨハネ福音書15:4~7)
*苦難さえ栄光に変えられる
一歩ずつで大丈夫です。小さな歩幅で大丈夫です。あなたが神に近づきさえすれば、苦難さえ栄光に変えられ、思いがけず大きな信仰の飛躍をする時が来ます。
【牧師 堀野浩嗣】
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2024年12月29日
年末主日合同礼拝
「熱心になって悔い改めなさい」
堀野浩嗣 牧師
ヨハネの黙示録3章14~22節
2024年 横浜戸塚バプテスト教会 ニューストップ5
① 戸塚東口でのオープン主日礼拝を2回開催。戸塚東口への伝道のために祈ろう!
② 教会メンバーとして2名の転入会者が与えられた!感謝!
③ 香港やモンゴル、アジアの諸教会との宣教の交わりと広がりが与えられ、さらに関パ―リー宣教師(CCM香港)が協力宣教師として横浜戸塚教会に導かれた!
④ 月1回夕礼拝が始まりユースを中心に交わりが広がった。ライトハウス(教会てらこや)クリスマパーティーに地域の小中学生30名以上が参加。次世代に福音を伝え、育てる教会に!
⑤ 長く準備した教会規程改定が行われ、教会の働きが見える形で整えられた。
【 ヨハネの黙示録3章14~22節 】
18そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。 19わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
*なまぬるいクリスチャンって?どんなん?
「わたしはそこそこ満ち足りていて大丈夫」 内向き志向はイエスに対する無関心です。
*熱心になって悔い改めなさい
「悔い改め」とは主に対する方向転換。 悔い改めは人生で一度きりではなく生涯続く。その中で主に対して全面的に信頼することを学び、キリストのために生きるという恵みを受け続けること。
*イエス・キリストを自分の中に迎え入れよう
外面的なクリスチャンや教会に勝利が与えられているのではない。キリストをいつもわたしの人生の中に迎え入れ、キリストと共に歩む人に主の勝利がある。
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2024年12月22日
クリスマス主日合同礼拝
「希望は失望に終ることがない」
堀野浩嗣 牧師
ローマの信徒への手紙5章1~5節
1このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
2024年前のクリスマスにこの世界に来られた神のみ子イエス・キリストを通して私たちは2つものを得たと聖書は言っています。一つは「神との間の平和」、もう一つは「神の栄光」です。それらのものは私たちの人生に生きる喜びと希望を与えてくれます。そして、キリストによって与えられた喜びと希望はどんな苦難や失望にも、私たちを欺くことはなく、この希望は失望に終わることがないのです。 本当にそんなことあり得るのでしょうか? 希望する術がないから失望であり、この世には私たちの望みをいとも簡単に裏切ります。しかし、イエス・キリストを信じる人に聖霊によって与えられる忍耐と練達(品格)が苦難の日の希望です。現代を生きる私たちにとってキリストにある「忍耐」と「品格」が本当に希望になる時代が来ています。どんな時も私たちと共におられるイエス・キリストにあって忍耐が与えられ、祈りと神のみ言葉の悔い改めによって内なる人格が練り鍛えられるのです。それだけではありません。聖書は約束します。希望は失望では絶対に終わらない。信仰者であっても頑張れないとき、どうしようもないような失望感や挫折感に苛まれ、まさに自分の人生は詰んでる、と思える時がある。でも聖書は、神との間に平和を得て、神の栄光を見る人生に導かれてイエス・キリストを信じた、イエスさまと共ある人の生涯は絶対に失望で終わりません。私たちに与えられた聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれているからです。イエス・キリストを心に受け入れて、神との平和、神の栄光、希望、そして、神の愛を注がれる日、それがクリスマスです。 メリークリスマス! 【牧師 堀野浩嗣】
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2024年12月15日
アドベント(待降節)第3週
主日礼拝
「マリアの賛歌」
内田泰亮 協力牧師
【ルカによる福音書1:47~50 】
「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、 主を畏れる者に及びます。
アドベントの救い主を待ち望む信仰について、今日は特にイエス様のお母さんマリアの信仰について見ていきたいと思います。
マリアは自分が救い主イエス様の母親になる事について、神様を賛美しています。でも、イエス様は確かに救い主ですが、当時の最悪の残虐刑である十字架に架けられます。母となったマリア自身の目の前で愛するわが子が残酷な殺され方をする。マリアは、それを知っていたら、神様を賛美したでしょうか。
この時、マリアはお腹にいる赤ちゃんイエス様が、将来、全ての人の罪を贖う為に十字架に架かる事なんて聞いていないし、実際にそうなるまで知らなかったでしょう。
ですが最終的にマリアは、わが子の十字架に、自分の胸を貫かれるような痛みと苦しみを味わいながらも、マリア自身の信仰は揺るがなかったのです。どうしてでしょう。
今日は、「マリアの賛歌」と呼ばれる聖書箇所から、当時のマリアの素朴な信仰の奥に何が見えるか、一緒に見て行きましょう。
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2024年12月8日
アドベント第2週
主日礼拝
「世の光」
竹元 献(ささぐ)宣教師
ピリピ(フィリピ)の信徒への手紙 2:12~16
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
【メッセージアウトライン】
① 宣教は教会を通してなされるイエス様ご自身のわざ (1:5−6、1:27、2:13)
② 非難されるところのない純真なものとなり、曲がった邪悪な世代のただ中にあって、傷のない神の子どもとなる (2:15)
③ いのちのことばを握り、世の光として輝く 2:16 (黙示録21:11)
【竹元献(ささぐ)宣教師プロフィール】
札幌生まれ、6児の父。20歳で悔い改めと献身に導かれる。東京基督教大学、聖書宣教会卒。岡山にて1年間伝道師として奉仕し、名古屋にて働きつつ宣教準備、2017年より家族と共にアジア宣教に従事。2021年にアジアにて起業、ビジネスを通じた証をしつつ地元教会との協力の中で現地で仕える。現在第3期を終え一時帰国中。
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2024年12月1日
主日礼拝
アドベント(待降節)第1週
「暗闇に光の道を備える」
主任牧師 堀野浩嗣
【 イザヤ書 40:1~5 】
1慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。2エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。3呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。4谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
5主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
今日から2024年アドベント(待降節)が始まります。アドベントはイエス・キリスト誕生を記念するクリスマスまでの4週間の期間を指します。暗闇に光をもたらし、すべての罪と咎から救い出してくださる救い主イエス・キリストの到来を待ち望み、全世界の人々に伝えるそれがアドベントの意味です。
主は信仰を持って待ち望むすべての人の人生に聖霊によって必ず来てくださいます。すべての慰めと希望の源であるイエス・キリストが来られる道を自分の人生に備えましょう。主はあなたを苦難と罪の人生から御手によって救い出してくださいます。そして、あなたの人生に主の道が出来れば必ずその道に居並ぶ人がイエス・キリストに出会い、主の栄光を共に見るようにされます。あなた自身の人生に主の大路を備えることが、あなたの隣人に主の慰めを伝え、導くことになるのです。
日本社会はクリスチャン人口2パーセントの壁を未だに超えることが出来ません。多くの人々はイエスさまの慰めと希望を知らないで生きています。クリスマスまでの4週間、あなたの身近なまだイエスさまを知らない9人のためにとりなし祈り、イエス・キリストがくださる慰めと希望を伝えましょう。(なぜ9人か? それはメッセージの中で・・・)
【牧師 堀野浩嗣】
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公開日:
最終更新日:2025/01/25