横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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主日礼拝メッセージアウトライン

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2020年1月19日 主日礼拝メッセージアウトライン 
「絶対安全な場所」  ダニエル書 6章1〜29節  

イスラエルは2600年前、国が滅びバビロンに捕囚となった。彼らは父祖アブラハムの祝福(創世記12章)を世界に広げ、神の国を再び建て上げる祭司の王国としての使命を失い、存亡の危機に瀕していた。しかし、バビロンという異教の国において、一人の信仰者ダニエルの信仰と神への献身によって、神のご計画は保たれ、ダニエルのいる場所に神の国の支配が与えられる。  ダニエルはどん時も揺らぐことなく主に信頼し、信仰によって働く神の霊に満たされていた。彼のすることは全て栄え、不思議な助けが与えられた。しかし、それは他者からの嫉妬や敵意の標的とされ、策略により絶体絶命の危機に陥れられる。 (ダニエル6:1〜10)

「ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。」 (ダニエル6:11)
➢ 八方塞がりの中でダニエルは「いつもとおり」(以前と変わらず) 主に向かってひざまずき、祈りと賛美をささげた。主との交わりに平安(安全)がある。
➢ どんな出来事にも揺れ動かされない、絶対安全な神の国を恵みとして受けているから、真の牧者であり、王であり、権威者である主イエス・キリストを信頼して、揺れ動かず、思い悩まないで歩もう。

☆ 主イエスとの交わりの中に絶対安全な場所を得て、一週間を歩もう!

「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。」(ダニエル6:23〜24)
➢ ダニエルはすべての裁きを主に委ねた。自分は絶対正しいという高座に立つのではなく、正しく裁かれる義なる神を信頼して、ライオンの洞窟へくだった。
➢ へりくだりは自己卑下や卑屈ではなく、わたしは罪人、小さく弱い。しかし、「主は良いお方です」 God is good all the timeと告白して日々生きる。 主にへりくだる人に神の国は与えられ、その人を用いてその場所を神の国の平和で満たされる。

☆ 周囲や感情に振り回され、自分の正しさを主張して裁き合うことやめ。 全てを主に委ね、献げ、へりくだった言動で「いつも通り」の信仰生活を建て上げよう!

 

2020年1月12日 主日礼拝メッセージアウトライン 
「問答無用」  ダニエル書 3章8〜30節

シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(ダニエル書3:16〜18)
➢ ネブカドネツァル王はそびえ立つ金の像を作り、それによって自分の権力と富と威光を知らしめ、人々に富と権力を拝むように仕向けた。今も変わることなくサタンは富や名声を武器として、霊的攻撃を仕掛け、わたしたちの心を惑わし、悪に陥れようとしている。 2020年霊的サタンとの戦いはさらに激しさをまします。

霊的攻撃からどのように身を守るか
* 「富と名声、人を頼りにしません、礼拝しません」と問答無用で即答する。頭で考え、この世の人と歩調を合わせて曖昧にするのはサタンの思うツボ。
* 主はどんなときも、どんなことからも救うことができるという、主イエス・キリストの十字架と復活の信仰からくる、確信に生きる。
* 「そうでなくとも」(たとえ願いが聞かれなくても)わたしは主に従うと決心する。今日、願いが聞き入れられなくても、朝毎夜毎365日主に祈り、賛美し、礼拝する。

総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。(ダニエル書3:27)
主は、どのような日にも問答無用でイエス・キリストの十字架と復活の聖書信仰に生きる人に聖霊が注がれ、すべての悪しき攻撃、燃える炉の中を歩むような試練からあなたを不思議な方法で守られる。 「四人目の者」 主があなたと共におられます!

ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。(ダニエル書3:28)
ネブカドネツァル王はこのような出来事を体験し、そこまでわかっていながら主を「我が神と我が主よ!」と呼ぶことはありませんでした。 あなたはいかがですか?

 

2020年1月5日 新年主日礼拝メッセージアウトライン
「信仰生活を見直す」  ダニエル書 1章1〜21節  

 新年明けましておめでとございます。今日から2020年の主日礼拝が始まります。今年は4年に一度のオリンピックイヤーです。しかも今年は東京で開催されます。メディアはお祭り騒ぎでニュースを取り上げるでしょう。しかし、祭りの影で人間中心に歩む日本も世界も、政治、経済、環境・・・混迷をさらに深めるに違いありません。いつの時代も人は苦難や試練を避けることはできませんが、苦難を恐れるのではなく、その苦難にどのように対処するかは自ら選ぶことができます。さぁ聖書を開きましょう!  イスラエルは紀元前586年に国が滅び、バビロンに捕囚されます。捕囚という憂いと嘆きの日にダニエル(意味:主は審判者)は神への信仰をもって歩みました。  捕囚以前のダニエルは、ユダヤの貴族階級に属し、良い教育(聖書の信仰教育を含む)を受け、最高の生活を受けていました。しかし突然、バビロンの王ネブカドネザルが侵略し、貴族階級の若者をバビロンに捕囚したのです。10代初めの彼らは、家族、故郷、国家、文化から切り離され、異国人の前に突き出され、新しい学問(創造主を知らない)と言葉を学ばざるを得なくなりました。さらに名前を奪われ、新たな名前を与えられます。(宦官(かんがん)になった可能性もある。) そのようにして少年たちは否応無しにバビロンの王に仕えさせられたのです。  ダニエルはわが身に振りかかった悲惨な出来事のために、怒って暴言を吐いたり、苦々しい思いで嘆き悲しんだり、自暴自棄になったり、神に背を向けたりすることもできたでしょう。また、利害を追随し自分の安全のみ確保する道もあったでしょう。  しかし、聖書には「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。」(ダニエル1:8)とあります。つまり、ダニエルは決心したのです。この時は汚れた肉と酒を食べない、食事に関する決心でしたが、ダニエルは神のために生き、神と共に生きる決心をしたのです。
① 与えられた出来事を神の計画と信じ、委ねて、神に献身した生涯を生きる決心。
② 自分の信じている神に従うことを具体的な生活で選び取り、表す決心。  人生は選べません。しかし、日々どのように生活するかは選べます。それゆえ私たちは日々の生活で「用意すること」こと。そして、「一線を引く」ことが大切です。
「目を覚まし、用意しなさい。」 そうすれば不必要に恐れや不安に振り回されません。そして、本当に祈らなければならない、力を出さなければならないことに集中できます。また、超えてはならない、譲ってはならない「一線」があります。その基準は自分の主イエスへの良心です(ローマ14:5、22)。 十字架で愛を表され、私たちを愛し抜かれる主イエスに後ろめたい思いがない毎日を立て上げましょう。
聖書信仰と行い(生活)は一つです。毎日の生活と信仰が乖離してはいないでしょうか? 食事、着る物、住居、お金、時間、趣味、余暇、人間関係・・・ ダニエルは怯まず神に従う決心することによって、自分自身と友を危機と苦難のなかで幾度も守り励ましました。そして、異国の王や社会から信頼を勝ち取ったのです。  私たちも信仰生活を年頭に立って見直し、新しい一年、主と共にある恵みと知恵を迷いと苦難の中にあっても力強くいただいてまいりましょう。

 

 2019年12月29日 年末主日礼拝メッセージアウトライン 

「真の礼拝者を主は求めておられる」 ヨハネによる福音書 4章7〜26節  

イエス様はある時、シカルのサマリアの町の井戸でサマリア人の女性と出会い、彼女との対話を通して、人生の渇きを潤す方法について教えられました。彼女は肉体的な渇きを水で満たしました。精神的な渇きを5人の夫の情愛、好意によって満しました。しかし、それは完全なる満たしでも、永遠なる満たしでもありませんでした。本当の満たしは霊的な魂の満たしによって与えられます。魂は礼拝を通して創り主なる神との交わりにより、天のみ座から注がれる主の霊と力、キリストの愛と命を受けて満たされるのです。
しかし、礼拝といっても形式的な礼拝式やプログラムのことを主イエスは言っておられません。私たちの心からの礼拝者として歩み、礼拝生活の内面です。
「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 (ヨハネ4:23〜24)

<霊−spirit> 聖霊の力による解決と満たしを求める礼拝者
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。・・・」(ルカ1:35〜37)
「主に望みをおく人は新たな力を得・・・」 (イザヤ40:31)

<真理−truth> 聖書のみ言葉を真理として、み言葉に立つ礼拝者
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:31b〜32)
「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。」(エフェソ4:21)

人間の力ではなく聖霊の力に期待し、聖書のみ言葉の約束だけに信頼する真の礼拝者として心して歩むなら、イエス・キリストが本当のこの世の救い主であると分かるでしょう。

 

2019年12月22日 クリスマス主日礼拝メッセージアウトライン 
「その星を見て喜びにあふれた」 マタイによる福音書 2章1〜12節

《本当の喜びはキリストとの出会い》
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。 (マタイ2:10 新改訳2017)
When they saw the star, they rejoiced with exceeding great joy. (Matthew 2:10 KJV)
➢ あなたは現在も、過去も、未来も一切を満たすような大きな喜びを知っていますか?
➢ イエス・キリストと出会う以上の喜びはありません。キリストは罪をゆるし、死に勝利し、すべてのことから私たちを救うことができるからです。(ローマ8:37~39)
➢ クリスマスはキリストと出会い、キリストの喜びを受け取る時。キリストと出会った人との出会い、キリストと出会った人々との交わりの中で(教会)、私たちはキリストの喜びを知り、喜びにあふれることができる。

《キリストにお会いする道》
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ2:1〜2)
➢ 占星術の博士たちは東方でユダヤ人の王、救い主誕生の預言の星を見てユダヤに向かいます。自分たちが培い、養ってきたもの(データ・学識)に正直誠実だった。
➢ そこで彼らは思いつく場所を探すがキリストは見つからず、ユダヤ人の王、誕生の噂を聞き恐れたヘロデ王と祭司長からベツレヘムでメシアは生まれるという聖書のみ言葉をあたえられ、さらに星が先導しイエスのもとへ導いた。自力を捨てて素直にみ言葉と星の導きに委ねよう。
➢ 主イエス・キリストの場所へと導く、星(人、出来事との出会い)は輝き、あなたを招いている。

《キリストと共に歩む道》
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 (マタイ2:11)
➢ ヘロデ王も、祭司長や律法学者たちも、神を礼拝し、聖書のみ言葉を熟知していたがキリストを求めようとはしなかった。 なぜなら彼らは富・権力、礼拝や聖書を学ぶことで自分を着飾ったので、キリストに会い天の喜びを得ることはなかった。
➢ 東方の博士たちは異教世界から来た人たちだったが、神の子キリスト(救い主)にひれ伏し、自分の宝(これまでの生業、これからの将来)をキリストに託して礼拝した。それによって彼らに主の光が輝き、新しい道(喜びにあふれ、人を喜ばせ祝福する道)を与えた。

 

 

2019年12月15日 アドベント第3週主日礼拝メッセージアウトライン

「お言葉どおりに」  ルカによる福音書 1章26〜38節

《インマヌエルの人生に招かれたマリア》
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 (ルカ1:26〜33)
➢ 14、5歳のマリアはキリストの母となる人生へと神により選ばれ招かれた。当時のユダヤ社会では婚姻関係外の妊娠出産は姦淫の罪を犯したとされ石打ちの刑もあり得た。しかし、いと高き方からくる聖霊の力を信じて、インマヌエル(主が共におられる)の人生を生きたパイオニア。
➢ あなたも、あなたという人生に神によって選ばれ、招かれた。そして、その人生で「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」との主の言葉を受け入れるなら、インマヌエルの人生が始まる。

《お言葉どおりに 〜 let it be 〜》
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 (ルカ1:38)
➢ 「お言葉どおりこの身になりますように」と応えると、インマヌエルの人生が始まる
➢ 「お言葉どおりこの身になりますように」と祈ると、聖書のみ言葉、主の約束が成就する   (創世記3:15「女の子孫」、 イザヤ書7:14「おとめが身ごもって」、 ミカ書5:1「ベツレヘム」)
➢ 「お言葉どおりこの身になりますように」と歩むと、苦しみを恵みとして受け入れる道が開く ・創世記45:5〜8 「わたしをここへお遣わしになったのは、あなたたちではなく、神です。」   ・詩編119:71 「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。
それにより、私はあなたのおきてを学びました」 (新改訳2017)
ヨハネ福音書21:18〜19   「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」

 

 

2019年12月8日 アドベント第2週主日礼拝メッセージアウトライン
 「主の憐れみの心」  ルカによる福音書 1章67〜80節

《主は忘れずに覚えていてくださる》
それは、我らの敵、すべて我らを憎む者の手からの救い。 主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。 (ルカ1:71〜72)
➢ イエス・キリストの誕生と救いの契約の完成を予告するため、神はザカリアとエリザベト夫妻に子どもを与え、その子をヨハネと名付けるように命じます(後の洗礼者ヨハネです)。神はあえて高齢であったザカリアとエリザベトに子どもを与えることを通して、神が私たちの祈りを聞き覚えていてくださることを教え、私たちにも、恥を取り去り、罪から救い出し、人生に喜びと楽しみを回復する救い主キリストを送ってくださる。 (ルカ1:5〜25)
➢ 祭司ザカリアとエリザベトは、長い年月、忠実に神を礼拝し、主に仕え、「わが子を与えてください」という一番の願いが叶わなくても、主に従った。忠実さ、働きの大きさを神が評価して、祈りが聞き入れられるのではなく、忠実に礼拝し、祈り続ける人を神は一心に愛される。

《主の救いの日は突然、意外な形で来る》
これは我らの神の憐れみの心による。 この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。(ルカ1:78)
➢ 主の憐れみは、恵みによって、わたしたちの状況や計算、想定を超えて条件なしに突然与えられます。今がどんなに暗闇の中に、死と隣り合わせのような危機的な現状でも、天の主からの光は突然に自分の人生に注がれます。待ち望み続ける心を失い、キリストが自分の人生に来られることに鈍感になってはなりません。
➢ 主の憐れみに信頼して、主の言葉に委ね、この世を生きることは最も安全(平和)な道です。

《父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい》
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。(ルカ6:35〜36)
➢ 聖ニコラウスは自分の財産と人生の時間を貧しい人、暗闇にいる人、命の危機にある人のために、惜しむことなくささげました。(彼はサンタクロースのモデルです) 自己中心、自己愛、個人主義、無関心が満ち満ちた時代に、 父の憐れみを知り、隣人に憐れみをかけ、愛し、祝福し、喜ばせる、天から注がれたクリスマスの光を運ぶ人になりましょう。

 

2019年12月1日 アドベント第1週主日礼拝メッセージアウトライン           「贖いの完成者」  ヘブライ人への手紙9章 23〜28節

《神の小羊イエス・キリスト》
24なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。 25また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。 26もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。(ヘブライの手紙9:24〜26)
➢ 神は義なるお方であられるので罪を見過ごすことができない。神の戒めに逆らう報酬は死しかない。それゆえ人間は罪の責を恐れ、贖いの犠牲を礼拝のたびにささげる苦行を続ける必要がある。(レビ記16章 ヘブライ9:1~10、)

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハネ139:15~16)
➢ 神はご自身の独り子を罪の贖いの完成する小羊としてこの世に送られた。神と人に罪を犯すことなく歩んだ神の子キリストが十字架の上で血を流し、私たちの罪は完全に贖われた。それによって私たちは完全に、どのような罪や汚れも神様に赦され、完全な神の愛の中にいる。 (ヘブライ9:11~22)

《贖いの完成者なるキリストはあなたの人生に来られる》
27また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、 28キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。(ヘブライの手紙9:27〜28)
➢ キリストはわたしたちの罪を裁き、責めを負わせるためではなく、罪と死が支配するこの世の暗闇と滅びからわたしたちを救い出し、永遠の命をあたえるためにこの世に来られた。
➢ キリストの十字架の贖いを信じ、受け入れた人の人生に、イエス・キリストは来て、この世の暗闇から救い出し、永遠の命を与えてくださる。

 

公開日:
最終更新日:2020/01/19