横浜戸塚バプテスト教会 Yokohama Totsuka Baptist Church

日本バプテスト連盟 Japan Baptist Convention

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主日礼拝メッセージ(Sermon)

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 2026年6月14

その手を伸ばしなさい
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書12章9-14節

人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。              (マタイによる福音書12章12~13節)

イエス様が安息日に会堂で片手の萎えた人を癒されたとき、ファリサイ派の人々はその人の苦しみよりも、自分たちの解釈した律法を優先しました。彼らの関心は「人を生かすこと」ではなく、「規則を守らせること」になっていたのです。
私たちは彼らを批判しがちですが、同じような姿が現代にもあります。特に今日の社会では、共同体から押し付けられる律法主義よりも、「こうあるべき」「もっと頑張らなければならない」と自分自身を裁き続ける個人主義的な律法主義が広がっています。神様の愛よりも、自分の基準や理想に縛られてしまうのです。
◇父なる神は憐れみと愛を求めておられる
しかしイエス様は、「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(マタイ9:13)と語られました。神様が求めておられるのは、形式的な正しさではなく、神の愛と憐れみを受け取り、互いに分かち合うことです。
◇「手を伸ばしなさい」不可能の中で信仰を働かせる
そしてイエス様は手の萎えた人に、「手を伸ばしなさい」と命じられました。本来なら伸ばせない手です。しかし彼は主の言葉を信じて応答しました。そのとき神の力が働き、手は元どおりになりました。
信仰とは、自分の実現可能性の最大化ではありません。「自分にはできない。しかし主が言われるなら従います」と一歩踏み出すことです。今、私たちの心にも動かなくなった部分や諦めていることがあるかもしれません。主は今日も私たちに語っておられます。「その手を伸ばしなさい」と。主に信頼して手を伸ばすとき、神は私たちを新しく造り変えてくださいます。大胆に手を伸ばし、主の尽きない憐れみと愛を受けとりましょう。
≪黙想の質問≫
Qあなたの中や教会に潜んでいる律法主義がありますか?
Qあなたのイエスの前に伸ばすことをためらっている「萎えた手」とは何でしょうか。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年6月7

イエスのくびきとわたし
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書11章25-30節牧師宣教中

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
(マタイによる福音書11章28~30節)

私たちは便利な時代に生きていますが、その一方で多くの人が疲れや重荷を抱えて生きています。仕事や人間関係、将来への不安、絶え間なく流れ込む情報によって、心が休まらない時代です。そのような私たちにイエス様は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」と招いておられます。
イエス様は、神の真理は「幼子のような者」に示されると言われました。幼子は自分の力だけでは生きられないことを知り、親の愛と助けを求めます。同じように、自分の弱さを認めて神を必要とする者に、神の恵みは開かれます。
また、イエス様は「わたしのもとに来なさい」と語られました。大切なのは、まず主のもとに行くことです。私たちは様々なものに安らぎを求めますが、本当の安らぎは神との交わりの中にあります。
さらにイエス様は「わたしの軛(くびき)を負いなさい」と言われます。軛とは二頭の牛を結び農具を引かせるための道具です。イエスの軛とは、主と共に歩むことを意味します。信仰生活とは一人で頑張ることではなく、主と共に歩むことです。
主は私たちの重荷を共に担い、必要な力と助けを与えてくださいます。真の安らぎとは問題がなくなることではなく、どんな時も共にいてくださる主に信頼して歩むことです。幼子のように主のもとへ行き、主と結ばれてその軛を負うとき、私たちは魂の安らぎと信仰の喜びを見いだすのです。

≪黙想の質問≫
Q 今、あなたが一人で背負い込んでいる「重荷」は何でしょうか?
Qイエスの軛を負い、イエスと一緒に歩んでいると感じた体験はありますか?

【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年5月31

本当の優しさ
内田泰亮 協力牧師
マタイによる福音書16章21-25節内田泰亮協力牧師宣教地

それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。  (マタイによる福音書16章24,25節)

学校や塾の先生に、細かく厳しい先生も、甘く緩い先生もいると思います。教えてもらっているその時は、甘く緩い先生の方が生徒に好かれます。ですが生徒が成長して大人になった時、「あの先生のあの厳しさのおかげで今自分はやれているんだ」と感謝されるのは厳しい先生の方だという事をよく聞きます。
聖書では「隣人を愛せよ」と命じられています。隣人を愛するには、ただその時その場で、優しく親切にすればいいのでしょうか。
ペテロはイエス様がご自分の十字架の予告をされた時、「そんなことがあってはなりません。」とイエス様を諫めました。ですがこれは人間的視点に立った、その時その場の優しさに過ぎませんでした。イエス様は決然として「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」と退けます。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。/ヨハ15:13」とあります。本当の優しさとは、誰かの為に自分を捨てること、自分を捨てて人間的視点から離れた時に現れるものです。その最大のものがイエス・キリストの十字架の救いです。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。/マタ16:24」とある通り、私達は自分自身をすべてイエス様に捧げることによって、人間的視点から離れてイエス様の視点に立つことが出来ます。その時に本当の優しさを持つことが出来るのです。

【協力牧師 内田泰亮】

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 2026年5月24

聖霊に満たされた道を歩む
堀野浩嗣 牧師
使徒言行録2章1-21節堀野牧師宣教中

彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。
武力によらず、権力によらずただわが霊によって、と万軍の主は言われる。」
(ゼカリヤ書4章6節)
現代は物や情報に「満たされた時代」ですが、人々は心に渇きを抱えています。この渇きは、単なる刺激や経済の不足ではなく、私たちが「聖霊によって生きる存在」として造られたからです。初代教会もまた、人の計画ではなく聖霊の力によって誕生しました。ペンテコステの日に始まった「聖霊に満たされた道」を、私たちはどのように歩むべきでしょうか。

◇自分の力を捨てて祈る
初代教会の弟子たちは、失敗や将来への不安を抱えた無力な存在でした。しかし、彼らは主の言葉に従い、一つになってひたすら祈り、聖霊を待ち望みました。「武力によらず、権力によらずただわが霊によって」(ゼカリヤ4:6)。聖霊は、自分の力に頼る人ではなく、「主よ、あなたなしにはできません」と砕かれた心で共に跪く人に注がれます。

◇一致して愛し合うようにされる
聖霊に満たされた弟子たちは、様々な国の言葉で神の偉大な御業を語り始めました。真の一致や平和は、人間の努力や考えの同質化によってではなく、同じ聖霊に満たされることで与えられる「賜物」です。聖霊は人間の好き嫌いや世代の壁を越え、互いに深く愛し合う関係へと私たちを導きます。

◇道の先に希望と未来がある
聖霊が注がれる時、若者は神のビジョンに心を燃やし、高齢者は神の国の夢を見ます(使徒2:17)。聖霊は「もう遅い」「変われない」という諦めを新しい力へと変え、私たちの人生を自己実現のためではなく、神の栄光を現す最高の人生へと用いてくださいます。今も働いておられる聖霊を求め、共にこの道を歩みましょう。
≪黙想の質問≫
Q あなたは、主の前に跪き、聖霊の助けと力に頼って祈っていますか?
Q 聖霊は今、あなたのどんな部分を砕き、どんな新しい希望やビジョンへ導こうとしておられると思いますか?

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2026年5月17

聖霊が降ると力を受ける
堀野浩嗣 牧師
使徒言行録1章1~8節堀野牧師宣教中

そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」・・・「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 (使徒言行録1章4、8節)

現代は「自己責任」と「効率」が求められ、多くの人が疲れ果てています。教会もまた、人の知恵やノウハウだけで歩もうとすれば限界を迎え、燃え尽きてしまいます。私たちは人間の努力ではなく、神の約束に立ち返る信仰の共同体でありたいと願います。

◇父が約束された聖霊を待つ(1~5節)
イエスは弟子たちに「父の約束を待ちなさい」と命じます。自分の願望や考えではなく、聖書のみ言葉が聖霊によって成就することを信じて待つことから信仰は始まります。神は太陽と光と熱が一体であるように、父・子・聖霊は三位一体の主です。父が約束され、御子イエスが遣わされる、聖霊は私たちを孤児にせず、共にいて励まし、助け導く方です。

◇聖霊が降ると力を受ける(6~8節前半)
弟子たちが求めたのは個人的、社会的回復でしたが、神の計画は全人類の救いという大きなものでした。父が約束された聖霊の力(デュナミス)は、単なる人の能力ではなく、人を根底から、内側から変える神の力です。さらに聖霊は私たちを自分中心から神中心へと造り替えます。教会の源泉は、人が造った制度や財産ではなく聖霊にあります。

◇聖霊の力は証しのために(8節後半)
聖霊の力は私たちが「キリストの証人」として、エルサレム(礼拝)、ユダヤ(生活や家族)、そしてサマリア(地域社会)、地の果てへ遣わすために注がれます。まず私たちの身近な場所に神の国が建て上げられるよう、聖霊の力を受けて証ししていきましょう。

≪黙想の質問≫
Q その「疲れ」。自分の力や人の力で頑張っているからじゃありませんか?
Q 聖霊の力を受けて、イエス・キリストを証ししたい相手は誰ですか?

【牧師 堀野浩嗣】聖霊を待ちつつ祈りましょう
外掲示板

 

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 2026年5月10

収穫の日に備えて
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書9章35~38節牧師宣教中

また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
(マタイによる福音書9章36~38節)
◇羊飼いのいない羊のよう・・・
イエスは町や村を巡り、人々が弱り果て、打ちひしがれて「飼い主のいない羊のよう」であるのをご覧になり、深く憐れまれました。当時はローマ帝国の圧倒的な富と力、またユダヤ人たちにとってはユダヤ教指導者の律法の教えが人々を支配していましたが、人々に真の平安を与えることはできていませんでした。現代も同様に、富や情報や教えはあふれていますが、多くの人が導きと安らぎを失っています。しかし主は「良い羊飼い」として来られ、命をかけて私たちを守り導かれるお方です(詩編23編、ヨハネ福音書10:11を参照)。羊は羊飼いの声を聞き、そのそばにとどまるときに安らぎ、豊かにされます。

◇さまよっていた羊たちが「真の羊飼い」を見出す収穫の日
主が語られた「収穫」とは、数や規模ではなく、イエスを真の羊飼いとして受け入れ、従う人が起こされることです。混乱の時代にあっても収穫は備えられています。ゆえに私たちは、まず自らが主の声に聞き従い続ける者でありたいのです。同時に「収穫の主」に祈り、招き、福音を分かち合う働きへと遣わされています。羊を養うのは私たちではなく主ご自身です。私たちは与えられた賜物を用いて、迷える人々を主のもとへ導きましょう。

≪黙想の質問≫

①日々の生活の中で羊飼いの声をちゃんと聞けていますか? あなたがイエス・キリストに養われる羊であり続けるために、何を見直す必要がありますか。

②あなたの周りの「弱り果て、打ちひしがれている人」は誰ですか?その人を主のもとへ導くために、祈る・招く・分かち合うという具体的な一歩として、今何ができるでしょうか?
【牧師 堀野浩嗣】
外掲示板

 

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 2026年5月3

謙遜さが心を動かす
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書8章28~34節牧師宣教中

イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。・・・イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
(マタイによる福音書8章28節、32節)
◇「向こう岸へ行こう」との主は呼びかける
主イエスは弟子たちに「向こう岸へ行こう」と促されました。そこは異邦人の地であり、人々が避けて通る「墓場」でした。主が嵐を越えてまで目指されたのは、悪霊に支配され、暗闇と孤独の中に閉じ込められた「一人の人の魂」を救い出すためです。
◇霊的な戦いという認識
この出来事は、単なる病の癒やしではなく「霊的な戦い」です。主は「行け」という権威ある一言で、人を縛る暗闇を退けられました。私たちも日々、恐れや憎しみ、挫折という「人生を墓場にする力」との戦いの中にあります。しかし、神の子イエスの御名には、あらゆる支配から私たちを解放し、真の自由を与える力があるのです。
◇イエスが担った十字架のリスクとコスト
豚の群れが死んだことで、町の人々は経済的損失を恐れ、主に出て行くよう願いました。世の人々が「経済」を優先する中で、主は「一人の救い」のために多大なコストを支払われます。この出来事は後に全人類の救いのために主が背負われる十字架のコストを予示しています。主は私を救うために、自ら排斥されるリスクを引き受けてくださるのです。
◇再び主が来られる日まで
主は再び来られ、すべての悪に勝利し神の国を完成させます。それまでの間、この「向こう岸へ渡り、孤独な人に愛を届ける」働きは教会に託されています。私たちは聖霊の助けを受け、主が歩まれた「誰も通れなかった道」を救いの福音を携えて進んでいくのです。

≪黙想の質問≫ ①あなたの人生に主はどのような道を通って来てくださいましたか?
②あなたが今日、主に従い行くべき向こう岸とはどこですか?

【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年4月26

友と呼んでくださるイエスさま
杉野省治 協力牧師
ヨハネによる福音書15章11~17節牧師宣教中

わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
(ヨハネによる福音書15章14節)

ヨハネによる福音書15章では、「あなたがたは……である」という主イエスの言葉によって、「私たちは誰であるのか、何者であるのか」が明確に告げられている。そこで、私自身が誰であるのかを知るならば、そして受け入れて、そのように生きるならば、実り多き人生を生きるようになると言われる。
5節に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われている。「わたし」は「主イエス」で、「あなたがた」は「私たち」のこと。そして大事なことですが「わたし」と「あなたがた」は「つながっている」関係だと言われる。つまり、私たちは、イエス・キリストの中に深く根をおろした存在にほかならないというのである。
「つながっている」ということは信頼する、されるという関係である。運転免許証が私にとっても相手にとっても信用、信頼があるから通用するのである。生徒が信頼するから教師でおられるのである。いくら私は教師だと言っても、信頼を失えば、だれも話を聞いてくれない。いくら私はお前の父親だと言っても、ちっとも父親らしいことをしなければ、そのうち、子どもから「あんたなんか親でも父親でもない」と言って捨てられるだけ。6節にキリストにつながっていなければ、捨てられるとある通りである。
さらに、8節で「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら」とあるように「私たちはキリストの弟子です」と応答することによって、自分が何者であるかを確認することが出来る。そしてキリストの弟子として生きる存在となっていく。
さらに驚くべき言葉を私たちは聞かされる。14節「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」。「あなたは誰ですか」。「わたしはキリストの友です」。そのように答えることが出来るのである。何と驚くべきことでしょう。そしてキリストの友として生きることが許されるのである。そのようにしてキリストの友となっていくのである。

【協力牧師 杉野省治】外掲示板

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 2026年4月19

謙遜さが心を動かす
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書8章5~13節堀野宣教中

イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。・・・そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。(マタイによる福音書8章10、13節)

あなたはどんな人やどんな出来事に感心や感動をしますか? 今日、私たちはガリラヤ湖の側のカファルナウムの町でイエス様を驚嘆させたローマの百人隊長の姿から、主が喜び、感心される真の信仰のあり方を学ぶことができます。

◇プライドを捨て自分から近づく信仰
ローマ帝国の権力を与えられた軍隊長でありながら、地位も権威もないナザレのイエスに対し、自ら歩み寄り懇願した謙遜な姿勢をイエスは喜ばれました。

◇愛による他者性から始まる信仰
彼がイエスのところに来た動機は自分自身のためではなく、病に苦しむ「一人の僕」のためでした。自分を捨てて他者のために執り成す心は、十字架で示されたキリストの愛の御心と重なります。これは霊的成長のみならず、人間形成においても不可欠な視点です。

◇「ただひと言」御言葉の権威に服従する信仰
彼はイエスを「霊的世界の最高司令官」と仰ぎ、わざわざ来られずとも「ただひと言」あれば癒やされると信じました。目に見える状況よりも、主の言葉の力を確信したのです。
イエスが言われた「あなたが信じたとおりになるように」(13節)とは、あなたの願望がすべて願いどおりに叶うということではなく、主の権威にすべてを委ねる信頼の中に主が共におられ、恵みによって救いが成し遂げられるという約束です。形だけの信仰、知識やプライドを脇に置き、他者のために主の言葉を求める「素直で謙遜な信仰」が、今もイエスの心を動かし、私たちの歩みを主による救いと回復の道へと導くのです。
【黙想の質問】
①自分の「知識」や「プライド」が、イエス様へ近づく妨げになっていませんか?
②あなたが今、「ただ一言、主のお言葉をください」
と執り成して祈りたい(祈るべき)他者とは誰ですか?

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

 

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 2026年4月12

だれを捜しているのか?
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書7章24~27節堀野宣教中

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」       (マタイ福音書7章24~25節)

新年度がスタートしました。それぞれの歩みの上に主の祝福と導きを心からお祈りいたします。私たちは日々の生活で「何を成すか」という外側の成功に目を向けがちです。しかし主は「土台は何か?」と問われます。人生の成否は「土台」によって決まるからです。

◇「岩の上」と「砂の上」の分かれ目
イエスは山上の説教の結びで、二つの家を例えで話されました。両者の違いは家の見た目ではなく、土台にあります。人生には必ず嵐の試練(病、災難、経済、人間関係等)が訪れます。その際、家が倒れるか否かは、何の上に築かれたかで決まります。

◇私たちの土台はイエス・キリスト
唯一の揺るがない土台は、万物の造り主であり保持者であるイエス・キリストです(コロサイ1:15-17)。仕事も家庭も将来も、この土台を無視して築くことはできません。主を土台とするとき、そこには真の平安と知恵が宿ります。

◇土台に据えるとは「み言葉に従うこと」
キリストを土台に置くとは、単に教えを知ることではなく「聞いて行う」ことです。信仰とは理解ではなく、信頼に基づく従順です。「思い悩むな」、「敵を愛せ」という主の言葉を実践し積み重ねることが、岩の上に家を建てるプロセスです。

◇揺れない人生の約束
信仰があっても試練は免れません。岩の上に建てた家にも嵐は吹き付けます。しかし、土台が主であれば、状況が揺れ動いても存在そのものが「倒れる」ことはありません。新年度の教会テーマと聖句(箴言3:5~6)にある通り、どの道を選ぶか以上に大切なのは「誰を信頼して立つか」です。自分の土台を再確認しましょう。そしてキリストを土台とする時、私たちはどんな嵐の中でも、神に導かれる確かな歩みを進めることができます。

黙想の質問 ①あなたの「土台」は今どこにありますか?
②最近、イエスの言葉を「聞いて行った」ことは何ですか?

【牧師 堀野浩嗣】

 

 

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 2026年4月5
復活祭(イースター)主日礼拝

だれを捜しているのか?
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書20章1~18節牧師ぶどう汁
(晩餐式ぶどう汁)

こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」               (ヨハネ福音書20章14~15節前半

復活祭(イースター)おめでとうございます。十字架に架けられたキリストは3日目に墓からよみがえられました。暗い空の墓穴にイエスを捜すのではなく、よみがえられた復活の主の招きに耳を傾け、よみがえられたイエス・キリストと共に歩み出しましょう。

*「あなたはだれを捜しているのか?」

墓の側で途方にくれ涙を流し「死んだイエス」を捜すアリアにイエスは「なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(15節)と語りかけます。私たちも自分ではどうすることもできない絶望や暗闇、無力感の前で立ちどまり、出口のない場所でずっと何かを捜し求めてはいませんか。私たちが捜し求めるべきは主イエス・キリストです。

*「復活」から始まる人生

「死んだ人が生き返るなんて科学的にありえない」と思われるかもしれません。しかし、聖書が伝える「復活」の意味は単なる蘇生ではありません。「この世界の悪、苦しみ、暗闇、そして死という絶対的な絶望にキリストが勝利した」という宣言です。イエスの復活は「どんな深い暗も、キリストの光を打ち消すことができない」(ヨハネ1:5、9)という証明です。

*振り向けばそこにイエスが

マリアは目の前に主がおられることに気付きませんでした。しかし、主に「マリア」と名を呼ばれ、振り向いた時に目が開けて、よみがえられたイエス・キリストを心に受け入れました。涙するあなたの人生に復活の主はご自身を現され、あなたの名を呼ばれます。振り向いてみましょう・。キリストと共に生きる人生の喜びと安息へ主は招いておられます。

黙想の質問 ①今、あなたが捜しているものは何ですか?

②暗闇(絶望)の中でも、あなたの名前を呼ぶ声に心を傾けていますか?

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2026年3月29

十字架のキリストにすべて任せる
堀野浩嗣 牧師
ペテロの手紙Ⅰ 2章21~25節 牧師宣教中

ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。 
(Ⅰペトロ 2:23~24)

私たちは日ごろ自分で自分の人生をコントロールしたい、コントロールしなければと考え様々なものを握りしめています。しかし、握れば握るほど不安や、心配は重くなっていきます。今あなたは何を握りしめていますか?

◇キリストの十字架の姿
イエス様は名誉(罵られた)・権利(訴えなかった)・正しさ(弁明しなかった)・命(十字架で死なれた)を手放し、父なる神にすべてを任せられました(ルカ23:46)。信仰とは任せることです。しかし、私たちは神に任せられず、握りしめてしまう罪があります。

◇任せられない私たちのための十字架
十字架で罪なき神の子キリストがわたしたちのすべての罪を引き受けてくださいました。だから私たちは罪を自分で背負い、裁きを恐れ、自分の人生の後始末や将来を握りしめなくてよいのです。全部、イエス・キリストに任せていいのです。

◇キリストにお任せするときいやされる
聖書が語る「いやし」は病やケガからの癒しだけではありません。罪の赦し、神との関係の回復、心の解放、生き方の回復と新生です。すべてを神にお任せになり、罪と死に勝利された主に、私たちが握りしめているものをお任せしましょう。そして、魂の牧者であり、監督である主にゆだね従い歩み出すとき、わたしたちはいやされ、回復が与えられます。受難週の一週間が主のいやしの恵みに与る時となりますように。

Q① あなたが手放すべき、今握りしめているものは何ですか?
② イエス・キリストを魂の牧者、監督として見つめ、従っていますか?

◇神のみ心に従う祈り
イエスは「この杯を過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いではなく、あなたの御心がおこなわれますように」(39、42節)と3度祈られました。「私の願い」から「神のみ心を知り」そして「神のみ心に従う」ことで祈りは完成します。私の願いだけ、御心を知っただけ、で終わらず、どんな試練や苦難の中でも、あなたの人生に主が備えておられる神の恵みを信じ、神のご計画に従い歩みましょう(マタイ18:24)。

Q① 「弱さの中に働く神の力」(Ⅱコリント12:9)を信じて、祈れていますか?
② 今主から差し出されている、あなたの杯、あなたの十字架とは何ですか?

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板写真

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 2026年3月22

祈りの本質③~神のみ心に従う~
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書26章36~21節堀野宣教中

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」 (マタイによる福音書26章39節 )

今年度も今日と来週受難週礼拝をささげて年度末を迎え新年度です。来週午後は教会予算総会、4/5(日)は復活祭イースター主日礼拝です。主イエス・キリストの十字架の赦しと復活のいのちの希望に心と思いを向けつつ、キリストと共に歩むひと時ひと時、ひと足ひと足がキリストの命に満たされる時をなりますように祈りつつ。
◇あなたは人生の最後の時、何にささげますか?
イエスは父なる神に祈るため弟子と共にゲッセマネの園に行かれました。イエスは最後まで父なる神を愛し求め、愛する弟子たちに大切なことを伝え教えられました。

◇弱々しい祈りの中に祈りの力が
イエスは「わたしと共に目を覚ましていなさい」(38、41節)と伴った3人の弟子におしゃいます。「目を覚まして」(英訳watch)は「目をそらさずに見なさい」という意味です。イエスは人間の罪の現実と肉体・精神の弱さや欠け、失敗から目をさらすことなく、隠すことなく、弱々しい姿のままで父なる神にすべて委ねて祈り、すべてを信じ歩まれました。私たちも自分や他者の弱さや欠けに目を背けるのではなく、主の前にそのままを告白し、弱さの中に働くキリストの十字架の愛と救いを受けとりましょう。

◇神のみ心に従う祈り
イエスは「この杯を過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いではなく、あなたの御心がおこなわれますように」(39、42節)と3度祈られました。「私の願い」から「神のみ心を知り」そして「神のみ心に従う」ことで祈りは完成します。私の願いだけ、御心を知っただけ、で終わらず、どんな試練や苦難の中でも、あなたの人生に主が備えておられる神の恵みを信じ、神のご計画に従い歩みましょう(マタイ18:24)。

Q① 「弱さの中に働く神の力」(Ⅱコリント12:9)を信じて、祈れていますか?
② 今主から差し出されている、あなたの杯、あなたの十字架とは何ですか?

【牧師 堀野浩嗣】外看板

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 2026年3月15

永遠の命の証し
内田泰亮 協力牧師
ヨハネの手紙Ⅰ 5章6~12節内田宣教中

その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。   (ヨハネの手紙1 5章11,12節5:11 )

「死にたくない」「永遠に生きたい」と思う人はクリスチャン、ノンクリスチャンを問わず多いと思います。ですがノンクリスチャンの方は『永遠の命』を信じてはいません。だから、「今さえ良ければいい」「自分が生きている間さえよければいい」と考える人が多いです。では、『永遠の命』を信じるクリスチャンはどうでしょうか。
イエス様は洗礼者ヨハネからのバプテスマを受けました。この時、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタ3:17)という声がありました。イエス様が神の御子でありながら私達と同じ人間として受肉してくださった証しです。
そのイエス様は十字架の死を受けられました。それは、神の御子として、全ての人の罪を贖う身代わりの死でもありました。
そしてその復活されました。「死は勝利にのみ込まれた。」(Ⅰコリ15:54)のです。私達がイエス様から頂く『永遠の命』は不老不死のことではありません。死から復活して、死に打ち勝ち乗り越えて頂くものなのです。
私達が、自分に罪があることを認めて、罪の赦し=救い主イエス を心の内に受け入れる時、つまり福音を心に受け入れる時に、イエス様と繋がり『永遠の命』をいただくことが出来るのです。その為には、自分の罪と救い主イエスを受け入れるには、内なる聖霊による証し、聖霊によって確信に導かれることが必要なのです。
「今さえ良ければいい」「自分が生きている間さえよければいい」という考えは自分中心の心『罪』から来るものです。『罪』からの救い主イエス様と繋がったクリスチャンはイエス様に似たものに変えられて行き自分中心の心『罪』は消えていくのです。
そして、隣人を愛し、未来に生きる子孫や子供達のことも愛するようになるのです。【協力牧師 内田泰亮】外掲示板

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 2026年3月8

祈りの本質② 奥まった部屋で神に祈る
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書6章5~8節牧師宣教中

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」              (マタイ福音書6章6節)

今年度もいよいよ今年度が終わりに近づいています。今年度1年間私たちは「あなたがたには苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ福音書13:33)の教会主題聖句を主日礼拝の最初に告白して礼拝をささげてきました。先週のイランに対するアメリカとイスラエルの軍事攻撃の影響が世界中に広がり、戦争の長期化とさらなる混迷は不回避です。私たちが生きている世界は光と闇が混在して、誰もが平和のための行動であると叫び、人命が失われている現状です。何が正義で何が不正義か、誰が善で誰が悪なのか、自分はどちら側の人間なのか、不安と緊張で強張りながら深い霧の中を手探りで歩いているような気持になります。しかし、主は私たちのそのような言葉にできない苦しみと悩みの十字架を身代わりになり負ってくださいました。そして、十字架の主イエス・キリストだけを救い主と告白する人には、神の力と知恵と命が与えられるのです。勇気を出しなさい、イエス・キリストは生きておられます。3月末~4月は受難週、復活祭(イースター)を迎えます。すべてをイエスさまにゆだねて、祈りましょう。そして、主イエスの十字架の愛と、復活の希望を一人ひとりが人生にいただく時としましょう。
神は人が造った目に見える建物や人の行う敬虔な儀礼や善行ではなく、隠れたところにおられ、あなたの隠された心を知っています。そして、あなたが自分の心の奥まった部屋にイエスさまを招き入れてお祈りするのを待っておられます。イエスがあなたの心に光りを灯し、罪を清め、悪を取り除き、傷を癒し、渇きを潤し、知恵を与え、永遠の命と喜びを満たしてくださいます。【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年3月1

祈りの本質① 敵のために祈る
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書5章38~48節宣教中のl牧師

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ福音書5章43~45節前半)

聖書のみ言葉にドキッとさせられることがあります。今日皆さんと分かち合う「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」、このみ言葉もその一つかもしれません。こういうみ言葉に出会うと自分の感情や理解が追い付かず、理念や理想として頭の上の方で受け取れても、そのみ言葉を心の真中に納めて実行することは困難です。しかし、そのようなみ言葉こそ、神様とはどのようなお方で、わたしたちは神様とどのような関係を生きるべきか、信仰の本質や祈りの本質が深く語られていると思います。ですから勇気を出して、このみ言葉を心の真中に受け取りましょう。
天の父なる神のみ心は「愛」です。神はイスラエルを無条件に愛されます。何度も神に背き、罪を犯しても、それでも神はイスラエルを永遠の愛と恵みを持って愛されます。同じように神は私たちを愛しておられます。それを知って欲しいのです。神はそれを最も分かりやすく表すために、御子を人としてこの世に送り、十字架に架け、わたしたちを愛していることを示されました。御子イエスは父のみ心に従い、十字架の苦しみを受け、十字架ですべての敵、迫害する者のために「父よ彼らを赦してください」と祈られました。それはわたしのためのとりなしの祈りです。自分都合に主のみ言葉を足したり引いたり、聞いたり聞かなかったり、信じたり信じなかったりするわたしのために、主は十字架でわたしを愛し、とりなして祈っておられるのです。それはわたしたちが天の父の子となるためです。天の父と御子イエス・キリストのみ心に従い、わたしたちも敵を愛し、迫害する者のために祈りましょう。できることを力の限りしましょう。昨日忘れても、今日もう一度チャレンジしましょう。キリストが共にいて、聖霊によって完全な者に私たちを整え、完成に向かって歩ませてくださいます。
【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2026年2月22

同行二人
杉野省治 協力牧師
マタイによる福音書25章31~46節杉野牧師宣教中

神学校時代のこと、ある教室の掲示板に「思考は地球規模で、実践は足元から」と書かれた紙が張ってあった。「なるほど」と感心した私は、これを「信仰は宇宙大、伝道は隣人から」と置き換えてみた。そして、それは具体的にどういうことか、時々考えるようになった。
さて、今日の聖書箇所は、世の終わりに行われる最後の審判の場面を描いたもので、主イエスの教えの要約であると考えられる。まさに宇宙大の事柄を示している。そして、「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい」という教えの実践的な結論を示している。
私はこの聖書箇所を読むと、いつもお遍路さんのことが思い浮かぶ。それは類似点が多くあるからである。お遍路さんは「同行二人」と書かれた笠をかぶって、お遍路を続ける。自分ともう一人、それは弘法大師を指す。目には見えないが弘法大師と一緒に巡礼をしているということである。聖書は一貫して、神は我々と共におられる方であると記している。私たちの信仰の歩みもまた、主と共に歩む「同行二人」の歩みではないだろうか。
主イエスは、いつも「最も小さい者」と共におられる方。その「最も小さい者の一人にひとりにしたのは、わたしにしてくれたことなのだ」と言われる。実に主イエスは、この「最も小さい者」と共にご自身が苦しんでおり、私たちの方からの兄弟姉妹としての関わりを待っている、と言っておられる。キリストを信じ、福音に生きるということは、要するにこの一事に向けて生活を改めていくことであり、神を愛し、隣人を愛するということに行き着くだろうと思う。ここで教えられることは神を愛することと隣人を愛することは表裏一体であるということであり、愛の奉仕に励めということになるだろう。そしてそれは、「人にしてあげる」ではなく、「人にさせていただく」という気持ち、言うならば「感謝」から出る行為。神の恵みに感謝し、分かち合う行為となるであろう。
【協力牧師 杉野省治】外掲示板

 

 

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 2026年2月15

塩と光として世に放たれ
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書5章13~16節堀野宣教中B

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」(マタイ福音書5:13~14)

先週日曜日は首都圏でも珍しく雪が積もり、一面の雪景色となりました。普段の町と何も変わっていないはずなのに雪ひとつで、景色が一変し別世界に来たかのような心地でした。また、先週日曜日は衆議院選挙投開票日で与党が大勝し、一夜で日本の国政が一変してしまいました。総理大臣が絶大な支持と権力を握る構図となりました。立てられている総理大臣や政治のリーダーたちが主のみ心に相応しい政治や政策を行えるように祈りましょう。私たち日本に住むクリスチャンは「地の塩、世の光としてキリストによって日本社会に放たれた」のです。聖霊に励まされ粘り強く祈るべきことを日々祈り続け、御言葉に聞き、一人ひとりが成すべきことを生活の中で証しして新しい年度を迎えてまいりましょう。
あなたは自分の人生にキリストの使命を持って生きていますか?どこの学校には行ったか、どんな会社や職業か、どこに住み、何を着ているか、唯物論的価値観に支配されず、キリストの使命に生きて行きましょう。今日のみ言葉の「塩」も「光」も人間の生命活動に不可欠なものです。私たちの能力や富に関わらずイエス・キリストに聞き従い、キリストと共に立つ一人ひとりを主は「あなたがたは地の塩」「あなたがたは世の光」と宣言し、世にキリストのいのちをもたらすため遣わされるのです。全ての人がキリストのみ言葉による救いの約束と新しい永遠の命の光を受けとれるように、それぞれが遣わされた家族親族、職場、学校、地域・・・に出て行きましょう。塩も、ともし火も容器の中に入れたままでは、いずれ塩気を失われ、光は消えてしまいます。
【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年2月8

信仰をブーストさせる
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書5章1~12節堀野牧師宣教中

 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人
たちのものである。」

(マタイ福音書4:19~20)

先週の日曜日の午後は拡大執事会が行われ、今年度の教会活動や財政状況が報告され、さらに来年度の活動計画や予算案が分かち合われました。今年度も残り2か月余りですが、毎年のことですが財政は現状では赤字の可能性が濃厚です。しかし、主が必要を満たし万事益としてくださると祈りつつ、どうぞ一人ひとりが主への感謝と献身の思いをもって献金をおささげください。さらに様々な世の中の経済状況の影響で教会も財政的に苦闘しています。どうぞう来年度の活動のためにお祈りくださり、み言葉の通りに一人ひとりがキリストの体になくてはならない各部分として結ばれて主の体を建て上げるためにみんなで一緒にやっていきましょう。そうすれば皆さんの生活や経済も、教会の働きも経済もすべてを満たす主が導いてくださいます。
さて、私たちは人生において何かに不足したり、行き詰まりを感じる時、必死で何とか増やそう、満たそう、取り繕うとするでしょう。しかし、イエスは「貧しい人」は「幸いである」とおっしゃいます。これは強がりでも、清貧信仰ではありません。「心の貧しい」とは神の前に誇ることが何もない、何も助けを期待できないどん底の状態のことです。しかし、そのような自分の弱さと罪を神の前に告白するとき人は本当にイエス・キリストに求めるようにされ主と出会います。そして、イエス・キリストに救いを求めて祈る人に天の窓は開かれ天からの助けと恵みは注がれるのです。さらに、イエス・キリストに救いを求める人は、柔和と、義と、憐みと、聖さと、平和を生きるように整え導かれます。 表面的に不足を補い、弱さを取り繕ったりせずに貧しい私を、罪の私をイエスよ、助けてください!悲しみと窮乏の中にある私たちにイエスの恵みと愛と憐れみを注いでください!と天を見上げつつ祈り求め続けましょう。
【牧師 堀野浩嗣】

 

 

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 2026年2月1

イエスに従うすばらしさ
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書4章12~22節

 牧師宣教中

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。 (マタイ福音書4:19~20)

先週、日本では衆議院が解散され、来週8日(日)に投開票が行われます。さらに受験や新年度に向けてのシーズンまっただ中で、社会全体が騒然とし、落ち着かない年度末の2月3月になることでしょう。選挙にしろ、進路にしろ、新年度にしろ、皆さんは自分の心と歩みをどこに定めて一歩進み出すべきか定まっておられるでしょうか。選挙を見てみても、多党化が進み、それぞれの政策の主張も複雑で、どこの政党に、候補者に投票すべきか難しい決断を迫られそうです。しかし、それにも勝って一人ひとりの人生において何に、誰に従って行くかの決断はもっと難しいことです。
さて、今日の箇所でイエスは辺境の地と呼ばれたガリラヤに立ち「悔い改めよ、天の国は近づいた」と暗闇と死の陰の地に神の救いの光が射し出でようとしていることを告げられました。そして、御自分の歩む道にガリラヤ湖で漁師をしていた4人を弟子に招かれました。能力や身分に関わらず、ただ主イエスは「わたしについて来なさい」と招かれます。そして、招きに応えて従う者に「人間をとる漁師になる」という新しい使命をお与えになったのです。人の魂に真の命の光を注ぎ、神の愛と祝福を伝える使命です。招かれた4人はすぐに、網を捨てて従いました。どうして、そんなことができたの?わたしには出来そうもない?信じがたい・・・と思うかもしれません。でも、それほどにイエスに従うことはすばらしいのです。イエスに従う人生はすばらしいのです。すべてを捨ててでも、何がその先に待っているのかすべて分からなくても、今日、イエスの「わたしについて来なさい。人間を取る漁師にしよう」という招きに応えて従う価値があるのです。さぁあなたもご一緒にイエスについて行きましょう・・・。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年1月25

誘惑に神の言葉で打ち勝つ
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書4章1~11節

 堀野牧師宣教中

すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」 そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。(マタイ福音書4:10~11)

人間は本当に誘惑に弱い者です。サタンは、そんな人間の弱点をよく知っているので私たちを巧みに誘惑して罪や混乱と破滅に陥らせようと多忙です。現代社会を見渡してみても、イエス様がサタンの誘惑を受けたのと同じ誘惑をあらゆる人々が受けています。「石をパンに変えて働いて働いて働いて必要を満たせ!」「誰がどう思おうと自分が神だ、自分の信念・主義を貫け!」「自分の栄光のため、すべてを手に入れろ!」あなたはいかがでしょう? 私は誘惑に弱い者だということをいつも主の前に告白して、悔い改めの祈りをしましょう。
でもどんな誘惑にも打ち勝つ方法をイエス様は私たちに具体的に示して教えてくださいました。それは神のみ言葉とイエスの御名にある権威によって誘惑を打ち破ることです。イエス様は人の言葉や知識、感情ではなく、御言葉だけで応答されました。そして、繰り返される誘惑にも「退け、サタン!」ピシャリとご自身の御名にあるキリストの権威でそれを打ち破り退散させたのです。すなわち私たちもどんな誘惑にも御言葉の盾を自分の心に、誘惑する者の前に置きましょう。「私は御言葉の約束を信じ、主に信頼し、主に仕える」と。そして誘惑する者の声に「イエス・キリストの御名によって言う、退け、サタン」とイエスの御名によって祈りましょう。そうするならあなたはどんな誘惑からも、混乱と破滅からも守られて、主イエスが与えてくださる平安と守りの中に新しい命を得て歩むことができます。 【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

 

 

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 2026年1月18

  人生は屋根の上のヴァイオリン弾き
小平公憲 牧師
コヘレトの言葉1章2~5節、9章4~10節

小平公憲_宣教中B

 聖書はパラドックスに満ちています。パラドックスとは、一見すると矛盾しているように見えながら、よく考えると真理を含んでいる事柄や表現を指します。「貧しき者は幸いなり」のような言葉です。コヘレトの言葉のパラドックスは、「空しさ」と「喜び」ではないでしょうか。
私の大好きなミュージカルに「屋根の上のヴァイオリン弾き」というものがあります。私はこのミュージカルを3回見ました。19世紀のウクライナに住むディアスポラのユダヤ人の家族を取り扱ったミュージカルです。主人公の父テヴィエ役には、森繁久彌さんや西田敏行さんなど、日本を代表する役者が演じてきました。なぜ、屋根の上のヴァイオリン弾きというのかというと、屋根の上でヴァイオリンを弾く者は、いつ屋根から落ちて首の骨を折って死んでしまうかもしれないのです。でも、屋根の上にいる間は、面白おかしく大好きなヴァイオリンを思いっきり弾いて踊るのです。
このミュージカルの原作者は、ショーレム・アレイヘムというユダヤ人です。このミュージカルはコヘレトの言葉の影響を強く受けているのではないかと思わされました。
このミュージカルのメインにはサンセットサンライズ(日は昇りまた沈む)という有名な曲が当てられています。コヘレトの言葉1章の5節には、「日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。」と書かれています。
コヘレトの言葉から人生のパラドックスを読み解いてみたいと思います。
【逗子第一バプテスト教会牧師 小平公憲】

外掲示板_康子

 

 

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 2026年1月11

今、求めるべきこと
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書3章13~17節堀野牧師宣教中

 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」・・・・イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
(マタイによる福音書 3章15~17節)

1月2日に私たちが敬愛する水口憲子姉が召天され8日(木)に葬儀式が執り行われました。水口姉がはじめられた家庭集会(戸塚聖書を学ぶ会)から現在の横浜戸塚バプテスト教会は生まれました。水口姉の約40年にわたる教会のための祈りと奉仕と交わりに心から感謝いたします。何よりも、すべてを導かれた私たちの思いを越えて御業をなされる主の恵みと愛の御業に心から感謝をいたします。地上に残された井上真美さんのご一家をはじめ、水口姉のご家族の上に主にある慰めとこれからの歩みの導きのためにお祈りいたしましょう。
さて、新年がスタートして11日が過ぎます。皆さんは2026年をどのようにスタートされたでしょうか?きっとクリスマスやお正月の楽しかった時間もつかの間、生活や仕事や家族の様々なことがはじまって、現実に引き戻されそれに忙殺されているのではないでしょうか。また、先の見えない世界の現状にいったい自分は何を求めて行けばよいだろうか、と漠然とした不安や心配を抱えているかもしれません。私たちが、今求めるべきことは何でしょうか?
イエスさまは宣教の働きの最初にヨルダン川の中に立っていました。それはあえて洗礼者ヨハネからバプテスマを受けて、天が開いて、聖霊の力を受け、「これは私の愛する子、心に適う者」という父の呼びかけを聞くためでした。イエスさまが立たれた場所に私たちも立ちましょう。今も、神は聖霊を与え、御声を語り、私たちを「愛され、義とされた者」として新しく生かしてくださいます。【牧師 堀野浩嗣】お花小_浦添美枝子_20260111

 

 

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 2026年1月4

悔い改めよ、天の国は近づいた
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書3章1~12節

牧師宣教中そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
(マタイによる福音書 3章1~3節)

主の年2026年 新年あけましておめでとうございます。新しい1年の歩みの上に神さまの祝福と恵みが豊かに満ち溢れますように心よりお祈りいたします。
洗礼者ヨハネは主イエス・キリストの到来を人々に宣べ伝え、キリストが来られるための道を備えるように言いました。どのようにして道は備えられ、キリストは天の国の支配を私たちの人生に与えてくださるのでしょうか? ヨハネは「悔い改めなさい」と人々に言いました。
「悔い改め」は不品行や不道徳、不信心を猛省して、良い行いや心に変えるというイメージかもしれません。しかし、聖書において「悔い改め」(メタノイア)は祝福と回復への恵み賜物です。「悔い改め」は自分の座を主イエス・キリストに明け渡すことです。順風満帆の時はその座を主イエスに明け渡し、すべて主の恵みと力であると感謝しましょう。へりくだり主に感謝する人を主はさらに高められます。困難と試練の時もその座を主イエスに明け渡しましょう。主が聖霊の知恵と、主の聖さと権威でもってあなたの困難と試練の日々に平安と慰めを与えて最善に導いてくださいます。
水による洗礼バプテスマは主への悔い改めの恵みの賜物に生きるスタートです。自分を恥じることなく何度でも「悔い改め」て主がくださる新しい祝福と回復を受けとりましょう。主イエスはあなたの人生に悔い改めの実を結ばせたいのです。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2025年12月28

ヘロデを恐れるな 要塞も破壊する神の力
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書2章13~18節、コリントの信徒への手紙2 10章3~6節堀野宣教中

わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。 (コリント2 10:3~4前半)

神の子イエスの誕生の知らせを知るとユダヤの王ヘロデはイエスを殺害しようとしました。神に敵対する闇の力や人生の困難はいつの時代もあります。私たちはそのような立ちはだかる壁に恐れや不安やあきらめを持つでしょう。しかし私たちは目の前のヘロデや私たちを恐れと暗闇に閉じ込めようとする要塞に屈する必要はありません。神はイエス・キリストと共にある人たちをどんな時も、どんな勢力からも守られます。そして、私たちが主イエスの救いの御業を信じて従い続ければ、神は要塞を打ち破る十字架の愛と復活の命を与え、主ご自身が要塞を打ち破られます。
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2025年横浜戸塚バプテスト教会感謝のリプレイ
☆2月香港からカンパ―リー宣教師をお迎えした。8月末ご家族の事情で急遽帰国を余儀なくされ、短い期間の働きとなったが、香港の教会との宣教協力の関係が深まって感謝。来年以降もジョー宣教師や香港の教会との交わりと協力に期待する。
☆4月より杉野省治先生を対外宣教協力牧師として招聘した。純子夫人と共に牧会チームが教会に加えられ共に主の宣教に仕えられることに感謝。ご夫妻の健康とお働きが益々祝福されるようにお祈りいたします。
☆青森バプテスト教会へのビジョントリップを通して、遠隔地にある教会との協力・交わり・祈りの関係が与えられたことに感謝。逗子第一教会とのパートナーシップ協力伝道、さらに湘南台教会や藤沢教会を含めて神奈川南部(カナン)宣教ラウンドテーブルの働きが来年も主によって前進するように祈りましょう。

【牧師 堀野浩嗣】

 

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 2025年12月21

ヨセフよ、恐れず迎え入れなさい
堀野浩嗣 牧師
マタイによる福音書1章18~25節牧師宣教中

このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 (マタイによる福音書1:20~21)

クリスマスは、今から約2025年前に、すべての人間を罪から救うために救い主イエス・キリストが誕生され、わたしたちのところに到着された!ということを全世界の人々に伝え、共に感謝し、礼拝するために始められたキリスト教の祝祭日です。そして、約2000年間、キリスト教会は救い主イエス・キリストの誕生と到来こそが全人類に与えられた神の平和と希望の光であると宣べ伝えてきました。
しかし、このクリスマスの出来事は2000年前の過去の出来事ではありません。神の御子イエス・キリストが人としてこの世に来られたのは、キリストによって私たちが罪と死の暗闇から救い出され、インマヌエル(神は我らと共におられる)の主イエス・キリストによって真の愛と平安に生きるようになるためです。
小さな子どもも高齢者も、どのような人種、民族、言語、宗教の人でも、喜びあるいのちに生きるためには愛が必要です。また、恐れと暗闇に満ちたこの世界で生きるためにまことの平安が必要です。イエス・キリストが十字架で示された真実の愛と永遠の平安(平和)を知るクリスマスになりますように心よりお祈りいたします。
天使は、疑い、混乱し、将来の不安に押しつぶされそうになるマリアの夫ヨセフに「恐れず、迎え入れなさい」と言いました。ヨセフが受け入れることによって、クリスマスの奇跡は示されました。あなたも今、受け入れがたい恐れや不安の中にいるかもしれません。イエスさまはあなたの人生に来られます。そして、あなたがイエスを迎え入れるなら、そこから奇跡がはじまるのです。 メリー クリスマス!

【牧師 堀野浩嗣】

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 2025年12月14

アドベント 新しい備え
杉野省治協力牧師
ルカによる福音書1章5~25節杉野省治宣教中

天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
(ルカによる福音書1章13節)

人生には、何かしら冒険(ベンチャー)の要素がある。冒険(ベンチャー)とは、他の人がめったにしない危険なこと、スリリングなことをすることだろうか。冒険という言葉には、日本語では「危険を冒す」という意味合いがあるが、ベンチャー(冒険)というのは、アドベンチャー(冒険)、あるいはフランス語ならアバンチュールも同じで、いずれも「来る」「やってくる」という言葉から由来している。
何かが来る、思いがけないことが起きる、その時新しくやってくることの中に信頼して生きる、それが冒険ということだろう。
今日はアドベント(待降節)第3主日です。ベンチャーもアドベンチャーもアドベントも、そしてなんとイベント(行事、事件)も語源は同じ「VEN、VENT」(来る)である。
神が危険を冒してやって来られた。神の冒険的事業がクリスマス。この冒険で神は御子の尊い血を流された。私たち人間の冒険はこの神に応えるのである。神を信頼し、その摂理に信頼して成り立つのである。
現代はベンチャー精神に期待していると言われる。それは実はキリスト教精神に期待しているのではないだろうか。神は今朝、私たちを新しく召しておられる。私たちも神の都を待望し、神を信頼して、この世の旅路を新しく出発したいと思う。「冒険する心」をもって。 【協力牧師 杉野省治】

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 2025年12月7

恐れと暗闇からの解放
堀野浩嗣 牧師
ルカによる福音書1章67~79節堀野牧師宣教中1

これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。 (ルカによる福音書1:78~79)

アドベント‘待降節の第2週を迎え、2025年も残すところあとわずかです。マタイ福音書、ルカ福音書のクリスマスの出来事において、天使は各々に「恐れるな」と語りかけます。そして、それぞれの人生における深い暗闇に神は幼子イエス・キリストの誕生を通して高次元の光と希望を与えられます。今年のアドベント・クリスマスの礼拝をささげる一人ひとりにも主は「恐れるな」と語りかけ、ひとり一人の暗闇にイエス・キリストの光と希望を与えてくださいます。皆さんはどのような「恐れ」と「暗闇」を今、持っておられるでしょうか。恐れと暗闇から目をさらさず、あなたを導く天の星と、飼い葉おけにお生まれになるイエス・キリストに信仰の目を開きましょう。神はあなたを救うために間もなく来られます。
イエス・キリスト誕生の半年前に祭司ゼカリヤと妻エリザベトは喜びと感動に胸を躍らせ、主をたたえずにはいられませんでした。老夫婦を主は憐れみ、子どもを与えられました。アブラハムの約束の成就とイザヤが預言したメシアの誕生を確信する出来事でした。人間的な可能性や希望が何一つない。むしろ恐れや心配、困難や暗闇しかない、そのようなところに主は天からの救いの光で照らされるのです。
私たちには夜明けがいつかははっきり分かりません。しかし、信じ待ち望む人に主は高いところからあけぼの光を必ず注がれます。今は暗闇の中かもしれません。しかし、あなたの後ろからキリストの光は射し出であなたの行く道を平和に導きます。クリスマスのイエス・キリストの到来を待ち望み、主の光りの中を歩みましょう。【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2025年11月30

主のはしためになる
内田泰亮 協力牧師
ルカによる福音書1章26~38節

内田協力牧師宣教中マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカによる福音書1:38)

本日から教会は救い主の誕生を待ち望む期間「アドベント」に入ります。毎年、教会ではアドベントの期間には、救い主の誕生に関連する出来事を指し示す聖書の言葉に耳を傾けます。それは、そこに繰り返し聴くに相応しい、主の驚くべき御業があるからです。忘れてはならない大切なことが示されているからです。
今回の聖書箇所は今まで多くの絵画、音楽、演劇、映画の題材にされた有名な『受胎告知』のシーンです。救い主イエスの誕生を予告する天使ガブリエルと、この予告を受け取るマリア。1対1、神に人が直面する、神の使いと一人の女性が向き合う構図です。
マリアにしてみれば突然の出来事です。考えている時間どころか、心の準備すらもできていませんでした。そしてこの場面の最後において、マリアは受け入れます。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と。

マリアは何を受け入れたのでしょうか。
どうして受け入れることができたのでしょうか。
そして神様は私たちにも、マリアと同じことを問いかけていると思います。
今日は、聖書の中でも有名な、この『受胎告知』の出来事から、神様のメッセージを聞きましょう。

【内田泰亮 協力牧師】

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 2025年11月23

御言葉こそ、神の力
堀野浩嗣 牧師
コリントの信徒への手紙一1章18~25節堀野牧師宣教中

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。 ・・・・ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(Ⅰコリント 1:18~25)

YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」が大切にしたいこと。その③は「御言葉を人生と生活の力にすること」です。 あなたは毎日どんなものやどんな事に力をもらっていますか?また何をあなたの人生をけん引し、方向付ける力にしていますか?もちろん口から摂取する食べ物、衣食住に必要な経済や仕事、計画を立てそれを遂行する知識やノウハウ、様々な他者との関係や言葉、趣味やレジャー・・・どれも生きるためには必要なものです。しかし、私たちの絶対的な力の源ではありません。聖書は“十字架の言葉”こそ、神の力であると言います。“十字架の言葉”とは聖書66巻が証するイエス・キリストの十字架と復活と再臨の福音です。
しかし、それは聖書の知識や情報、教理や神学を蓄積し、研究することではありません。イエス様が生きてこの世界に人として生まれ、神の言葉の恵みと真理をそのままに十字架を負ってゴルゴタの丘で現わされ、御言葉を生きることによって、御言葉が生きたものになり、本物の神の力となりました。さらに弟子たちも御言葉に生きた時に、聖霊の力が受け、従う者たちを癒し、立ち上がらせ、造り変えたのです。現代でイエス様や弟子たちのように御言葉を信じて従うことは愚かなことかもしれません。しかし、イエス様を主と告白しながら、神の力を受けず、この世の様々な永遠でないものを力とより頼むことはもっと愚かです。YTBCは「御言葉こそ神の力」と、言葉と行い(生活)でイエスを主と告白し、日々の神の力に満たされて歩みましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
外掲示板

 

 

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 2025年11月16

イエス様を救い主と信じよう
堀野浩嗣 牧師
ローマの信徒への手紙 10章9~11節

でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 (ローマ 10章9~11節)堀野牧師宣教中

今日は子ども祝福式主日合同礼拝です。今日礼拝に集まった子どもたちを心から祝福し、感謝し共に神様の愛にあふれる礼拝をおささげしましょう。

♪君は愛されるため生まれた 君の生涯は愛で満ちている♪えっ?愛されるために生まれてきたってホント?勉強するため。いい点とるため。いい大人になるため生まれてきたんじゃないの?ただの偶然じゃない?僕は何のために生まれてきたの?

イエス様は2000年前この世に人として来られ、私たちの罪の変わりに十字架に架かかられ、三日目に死からよみがえられました。それは「神様はあなたを愛していること、あなたは神様に愛されていること」を私たちに伝えるためです。今も、イエス様をキリスト(救い主)と信じる人の心には聖霊によって神の愛が注がれます。そしてイエス様を救い主と信じる人たちに救いの平安と喜びが与えられます。

「信じる」というのは、ただ「知っている」とか「分かっている」ではなく、「信頼する」ということです。目には見えないけれどイエス様はどんな時も、どんなことからも私を守って助けてくださると信じてイエス様の手を握りましょう。

そして、私たちが一緒(公に)にお父さんも、お母さんも、兄弟も、礼拝に集まった一人ひとりも、みんなで一緒に、心を合わせ、声を合わせ、「イエス様は救い主、私たちの主です」と告白しましょう。「主を信じる者は、だれも失望することはない」のです。あなたに神様の愛と祝福が豊かにありますように!ハレルヤ、アーメン!

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2025年11月9日

神の臨在の中で祈る
堀野浩嗣 牧師
詩編27編4~8節20251109堀野宣教中

主よ、呼び求めるわたしの声を聞き / 憐れんで、わたしに答えてください。
心よ、主はお前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。 (詩編 27章7~8節)

YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」が大切にしたいこと。その②は「神の臨在の中で祈ること」です。現代は様々な課題が国や社会、家庭や個人いたるところにたくさんあります。そのような将来に対する恐れや不安の多い時代の中で、私たちは何を最も求め祈ればよいのでしょうか。あなたは何を求めて祈っていますか。どのような場所で、だれと、どのように、何を・・・祈るか、キリストのみ心によるTPO【Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)】を意識して祈ることを大切にしましょう。しかし、それ以上にどんな時も神の臨時の中でお祈りしましょう。イエスさまは祈る私の目の前に絶えずおられます。祈りは儀式や呪文や念仏、自己念じではありません。
詩編の多くの詩と祈りを残したダビデの生涯は敵との戦いや危機の連続でした。しかし、彼はそれらに対する勝利や平安を求める前に、「神の臨在(御顔)」そのものを求めました。ダビデの祈りの中心は問題解決や敵が滅ばされることではなく、神の臨在の中に生きること、つまりどんなことがあろうとも主の家に住み、主との交わりの喜びと慰めに満たされることでした。そして、神の臨在の中で祈ることのよってダビデは、主の守りと回復を幾度も体験し、さらに「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」と神に応答するのです。
私たちも日々の課題の解決や必要を求める祈る前に、主の臨在(御顔)を尋ね求めましょう。すべての歩みに先んじて一人ひとりが一致して神の御顔を見上げ、神のみ心を受けとっていく時、神の国の喜びと平安に満たされ、あなたの周囲にその恵みと栄光があふれ出していくのです。
【牧師 堀野浩嗣】

お花_;小_浦添美枝子__20251109

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 2025年11月02日

永遠の命がわき出る礼拝
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書4章7~24節1102_牧師宣教中

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。 (ヨハネによる福音書 4章23~24節)

YTBC「横浜戸塚バプテスト教会」がどんなことを大切にキリストの体なる教会を造り上げて行けばよいか、アドベント・クリスマスを前に聖書のみ言葉から共に主イエスに聴いていきたいと考えます。また、私が今、教会の頭である主イエスに示されていることを皆さんと分かち合わせていただきたいと思います。
私たちYTBCの中心はイエス・キリストです。そして、私たちはイエスさまがそうされたように365日朝も夜も霊と真理を持って父なる神を礼拝します。私たちも、この世界も、宇宙も父なる神を礼拝し、賛美するために造られました。人は礼拝(worship)することで心を満たされる生き物です。しかし、多くの人は偶像や人やお金や自然・・・いつか朽ちる物を礼拝して心を満たそうとしています。その人が礼拝しているものが、その人自身の価値の写しです。イエス・キリストによって罪を取り除かれ、父なる神を知り、霊と真理をもって礼拝するとき、私たち一人ひとりの内からすべての渇きを潤す永遠の命の水がわき出します。場所や人や行いやプログラムという外面的礼拝でなく、イエス・キリストと共に霊(主との人格的交わり)と真理(み言葉の実践)をもって、日曜日の主日礼拝から月曜~土曜日の1週間を歩む礼拝生活を求めて行きましょう。YTBCに集うすべての世代が日々の礼拝を通して父なる神の愛に満たされ、一人ひとりが永遠の命がわき出るところになるように心よりお祈りいたします。あなたの渇きを潤す命の水の泉が今開かれます。それを受け取りましょう!
【牧師 堀野浩嗣】

 

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 2025年10月26日

神の恵みの管理者
堀野浩嗣 牧師
ペトロの手紙一4章7~11節牧師宣教中

7万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。 8何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 9不平を言わずにもてなし合いなさい。 10あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 11語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。
(ペトロの手紙一 4章7~11節)

聖書で使徒ペトロは「万物の終わりが迫っている」と語ります。聖書が預言する終末とキリストの再臨の時は必ず来ます。それがいつかは分かりません。しかし、必ず来ます。むしろ今の世界の状況を見ると、環境、政治、社会の深刻な終末的様相に心を暗く、不安にするかもしれません。ですが、聖書の福音に立ち、終わりの時代を生きる私たちキリスト者は、恐れや焦りではなく、落ち着いて神の恵みを委ねられた管理者として生きることが求められています。そのために祈りの中でまずは自分に与えられた神の恵みと賜物に目を留め、神への感謝をささげましょう。
私たちには個人にも教会にも多くの賜物が神の恵みによって与えられています。しかし、その賜物を何のために、どのように用いるのかが重要です。ペトロは何よりもまず、「心を込めて愛し合うこと」、「もてなし合う(仕え合う)こと」を優先順位の一番に挙げています。私たちが神から与えられた恵みの賜物を、自分の栄光や必要や欲望のためではなく、キリストに倣って「愛し合い」「もてなし合う」ことに率先していく良い管理者になりましょう。それによって終わりの時代に神の栄光が輝きます。外掲示板

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 2025年10月19日

召天記念主日礼拝

目標を目指してひたすら走る
堀野浩嗣 牧師
フィリピの信徒への手紙 3章12~14節牧師宣教中

兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 (フィリピの信徒への手紙 3章13~14節)

本日は2025年度の召天記念主日礼拝です。先に天国に召天凱旋された被召天者のお一人お一人の信仰の生涯を覚えつつ、イエス・キリストを通して与えられる永遠の命と復活の信仰によって天と地が一つに結ばれた礼拝をささげましょう。故人を祈念する礼拝式がキリスト教会ではさまざまな名称で行われます。永眠者記念礼拝、召天者記念礼拝etc 正解はありません。ただ、私たちが大事にしたいことは「昇天」ではなく「召天」であるということです。だれもこの世界に自分の力で生まれることも、天国に自分の力で昇ることもできません。主なる神様によって母の胎に命与えられ、地上の生涯を備えられ、その歩みの中で神様に出会い、ある時神様に召されて、救い主イエス・キリストの慰めと導きによって天に挙げられるのです。それらはすべて主の恵みです。主よ、感謝します。
先日NHKスペシャルを見ているとあるアンケートで「長生きすることに喜びはない」と答えた日本人は約2~3割でした。これほど豊かで美しく、平和で安全な国、日本でどうしてこんなに多くの人々が生きることに喜びを失っているのでしょうか。また、昨年の小中高生の自殺者は529人です。一週間に10人が自ら命を絶っている状況です。目指すべき目標を社会が見失っているのかもしれません。使徒パウロは「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ること」に生涯を傾けるように教えています。それによって私たちはみんな生きる喜びと希望を主によって与えられ、その幸福を分かち合うことができるのです。

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 2025年10月12日

主日礼拝

イエスが祈られた祈り~共におらせてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章24~26節牧師宣教中

父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。(ヨハネによる福音書17章24節)

今年度に与えられた教会テーマ「勇気を出しなさい」(ヨハネ福音書16:33後半)にそって5か月間イエスさまのみ言葉に聞いてきました。私たちの勇気の源はどこにあるでしょうか?あなたは発見することができましたか?もう勇気100倍ですか?
イエスさまは最後の晩餐の席上でのメッセージの最後に父に祈られました。それは「共におらせてください」です。どんな時も、どんな場所でも、どんな出来事に直面しても、主イエスは共におられます。そして、信仰の目を開いて、聖霊によって主イエスが共におられることを確信する人に神の愛と、キリストの栄光の光はいつも惜しみなく注がれます。また、それだけではありません。主が共におられることを信仰の現実として、日々の生活を歩み続ける人々を通して、キリストはご自身の愛と栄光をあなたの周囲の人々にあなたの日々の生活や人生を通じてはっきりと示されます。あなたの日常に主は共におられるのです。どうぞ勇気を出しましょう。「たっすいがー」(弱々しい、頼りない)のままではなりません。主イエスは生きて共におられ、あなたの祈りと願いに聞いておられます。そして、あなたの人生が神の愛に満ちて、神の祝福と平安に満たされるように主イエスは導いておられます。主イエスに信頼して歩んでいきましょう。
今年も残すところ、残り3か月を切りました。2か月後には今年のアドベント・クリスマスです。インマヌエル(主は我らと共におられる)のイエス・キリストの誕生を心から祝い、ひとりでも多くの人々に伝えましょう。

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 2025年10月5日

主日礼拝

イエスが祈られた祈り~父の愛で一つにしてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章20~23節

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わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。(ヨハネによる福音書17章23)

先週行われた特別主日礼拝と午後の教会セミナーの恵みを大いに主に感謝いたします。午後のセミナーでは講師の角本先生を通して、教会は牧師・信徒中心ではなく、常にキリスト中心である事。また、神様の宣教の御業と収穫のために祈り参与させていただく信仰姿勢が大切であることをあらためて学びました。目の前の向かい風や追い風に一喜一憂することなく、教会の頭であるイエス・キリストを心から信頼して、聖霊の導きを求めて、キリストにあって一つとされて前進いてまいりましょう。今年もあと3か月、キリストに在って心を一つにされて、クリスマスに向かって神の愛を宣べ伝えていきましょう。
イエスは後の世の全てのクリスチャンと教会のために祈られました。どんなことを主は私たちのために祈られたでしょう。父と子が一つであるように、私たちも主と一つになること。そして、私たちが主の愛によって一つとされて、この世にキリストの完全な愛の力を現わすようになることです。人間の主義主張や神学や方法で一致するのではありません。誰かに誰かが合わせるのでもありません。人間中心に合わせようとすれば必ず分裂や不一致が生じます。そうではなく天の父のみ心に一人ひとりが心と歩みを合わせ、主の栄光を求める時、私たちはキリストの十字架の愛によって、癒され、満たされます。そして、祈りと礼拝を通して聖霊の助けをいただき、互いに愛し合い仕え合い、キリストにある一致を求めるとき、この世にキリストの勝利を証しするようにされるのです。

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 2025年9月28日

主日礼拝

弱さから立ち直る希望IMG_8575
角本尚彦 牧師
ルカによる福音書22章31~34節

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
(ルカによる福音書22章31~34節)

ハレルヤ!特別主日礼拝にようこそお越しくださいました。本日の主日礼拝は青森バプテスト教会より、角本尚彦牧師をお招きして礼拝を主にささげます。天地を造られた父なる神様も、救い主イエス・キリストも、私たちに神の愛と恵みを教え、キリストに導く聖霊も肉の目には見えません。しかし、心を天に向け礼拝をささげる一人ひとりに、賛美と祈りと聖書のみ言葉を通して、主はご自身を現してくださる霊なるお方です。主の豊かな祝福と導きが今日礼拝をささげられるお一人お一人に与えられ、イエス・キリストにお会いできますように。そして、父なる神の永遠の愛と栄光の力によってきよめられ、癒され、新しくされるように心よりお祈りいたします。
(横浜戸塚教会 主任牧師 堀野浩嗣)

角本尚彦(かくもと なおひこ) 牧師プロフィール
1969年生まれ。長崎出身の妻と5人の子どもたち(うち一人は里子)。
青森バプテスト教会牧師。王恵幼稚園理事長。フードバンクいのちのパン青森代表。東奥義塾高校聖書科非常勤講師。防災士。
趣味は映画鑑賞と未伝地のプレイヤーウォークと写真、水泳、コーヒー焙煎。

 

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 2025年9月21日

主日礼拝

イエスが祈られた祈り~聖なる者としてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章16~19節

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真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。

(ヨハネによる福音書17章17~19節)

 

先週の15日月曜日に第1回地域宣教ラウンドテーブルと題して、逗子第一、藤沢、湘南台、横浜戸塚の神川南部にあるバプテスト連盟の4教会から18名が参加して、礼拝、証し、祈りの懇談交流会を持ちました。開会礼拝では杉野省治先生から「地の塩、世の光」(マタイ5;13~16)の題で、教会とクリスチャンが地の塩としてこの地域や世界に神の愛と福音を浸透させ、世の光としてキリストの栄光を顕現させて行く使命を受けとりました。また4教会を中心に今後もラウンドテーブルを持ち、共に福音宣教のために祈り協力し合うことを確認しました。

さて来週28日日曜日はいよいよ青森バプテスト教会から角本尚彦先生をお招きしての特別主日礼拝と教会セミナーです。特に午後の教会セミナーは「21世紀の地域教会の使命とビジョン」というテーマで角本先生を囲んで分かち合いと祈りの時間を持ちます。主の恵みあふれる時となると思います。どなたでもご参加ください。

「聖なる」(ハギアゾー)」=特別な目的のために区別・捧げるという意味です。イエスは弟子たちを世から取り除くのではなく、むしろ世にあって神に属し、キリストに倣う者として守られるように祈られました。そのために必要なのは「真理による聖め」です。真理とは主の御言葉です。自由主義の相対的多元的な価値観が世を支配しています。しかし、私たちは御言葉を永遠の真理として信じ、受け入れることによって聖霊によって聖められ、守られ、この世において、キリストに倣いキリストの愛と救いを地の塩、世の光として浸透させ、顕現する者として用いられるのです。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2025年9月14日

主日礼拝

イエスが祈られた祈り~悪い者から守ってください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章6~16節

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わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
(ヨハネによる福音書17章14~16節)

先週、7日の夜、石破茂日本国首相が自民党総裁退陣を表明しました。また、10日アメリカの活動家チャーリー・カーク氏がユタ州の大学のイベントに登壇中に暗殺されました。それぞれ立場や働き、主義主張は異なりますが、聖書の神を知り、キリストを信じるクリスチャンです・・・。
世界の混乱、分断、対立が激しくなり、各国も各個人も調和・一致でなく、自国第一主義・自分ファーストに奔走しています。国際政治に詳しくないわたしのような者であっても、今の世界情勢には不安を感じてしまいます。地上を支配する悪魔の策略に世界全体が深くはまり込んでいると言えるでしょう。そして、何よりも真の神を知り、神の言葉に聞き、とりなし祈り、この世界にキリストの栄光と愛を聖霊に助けられて証しするクリスチャンや教会が激しい悪魔の攻撃を受けている現状です。まさに悪い暗闇の時代と言えるでしょう。わたしたちは、どう生き抜いていけば良いのでしょうか?
主イエスが祈られた祈りに勇気づけられましょう。主はあなたを悪い者から守ってくださいます。主イエス・キリストは、私たちを愛され、私たちを守り救うために十字架にかかり贖いを成し遂げられたのです。あなたが主イエスを信じて生きるなら、主は、主のみ名によってあなたを保護し、悪に勝利し、お守りくださいます。そして、あなたの人生にキリストの愛と栄光の実は必ず実を結び、他者のための愛と光として用いられます。どのような悪しき時代あっても、主を信頼しつつ歩み続けましょう。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2025年9月7日

主日礼拝

イエスが祈られた祈り~栄光を与えてください~
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書17章1~8節堀野宣教12

イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。・・・」(ヨハネによる福音書17章1節)

皆さんはどんなことを毎日神様にお祈りしておられますか?どんな祈りであっても主はその祈りに耳を傾けておられます。一人ひとりの主への祈りの奉仕が御霊に満たされ充実するように心よりお祈りいたします。
さて今日から学ぶヨハネ福音書17章は「イエスの大祭司の祈り」と言われる箇所です。「主の祈り」として有名なマタイ福音書6章9~14節の祈りはイエスさまが弟子たちに教えた祈りですが、今日の箇所は実際にイエスさまが祈られた祈りと言えます。イエスさまはどのような祈りを十字架の苦しみを前にして愛する弟子たちと共に祈られたのでしょうか?
イエスさまは自分の人生を父なる神が備えておられる時に委ねられました。神の御思いと神の御手の中に十字架も復活も、苦難も誉も喜びもあるのです。私たちのすべては自分の計画や時ではなく、主の時の中にあります。主の最善が時、すべて完成すると信じ、明け渡して祈りをささげましょう。
イエスさまは父の栄光を求めて祈られました。自分の栄光でも、この世の人間的栄光や成功でもありません。ただ父の栄光が現わされることを求めて祈られました。父の栄光は、無から有を生み出す創造の光です。そして、父の栄光は乙女マリアに聖霊によって人として生まれ、十字架に架けられ3日目に復活されたイエス・キリストを通して現わされます。人間の成功や功績や能力の光はやがて消えていきます。しかし、キリストの栄光は永遠の命です。どんな暗闇にもさんぜんと輝き、命と希望を与える光です。イエスさまが祈られたように、この世界に、教会に、地域やそれぞれの家庭や人生にキリストの栄光を祈り求めましょう。

【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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 2025年8月31日

主日礼拝

悲しみが喜びに変えられる日
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書16章20~33節堀野牧師宣教中

【ヨハネによる福音書16章23~24節】
その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。

あなたは人に期待していませんか?人への期待は必ず失望や不満、時には怒りや憎しみにさえ変わります。人の言葉や行い、人の数、人の働きや能力、お金や成功、若さや健康・・・何をもってしても人は人をどうしようもない悲しみや死の暗闇から救い出すことはできせん。わたしたちはどんな時も、自分自身も含めて人への期待ではなく主に期待しましょう。そして、救い主イエス・キリストの御名によって祈りましょう。わたしたちが主イエスの御名をあがめ、祈り求めるならば主はわたしたちを栄光から栄光へと日々つくり変えてくださいます。そして、主の恵みによって悲しみを天の喜で、暗闇を復活の光で、憎しみを十字架の愛で、死を永遠の命で日々満たしてくださるのです。
イエスの弟子たちも、ナザレのイエスという人の力に期待し、頼っていたのでしょう。残念ながらその期待は十字架の前で木っ端みじんにされ、彼らは悲しみと絶望に満たされてしまいます。けれどその時のために主イエスは今日のみ言葉をあらかじめ与えておられたのです。「わたしの名によって願いなさい。悲しみは喜びに変えられ、喜びに満たされる」。悲しみに鈍感になり、悲しみに目を背け、別のもので自分の心の渇きや痛みを満たすことに慣れてはいけません。今日、自分の心を主の前にあけ放ち、十字架と復活のイエス・キリストの御名で祈り、魂を主に触れられ悲しみを喜びに変えていただきましょう。「あなたがたには苦難がる。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」。今日の礼拝が悲しみが喜びに変えられ、主の勝利を拝する日となるようにお祈りいたします。

【牧師 堀野浩嗣】

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 2025年8月24日

主日礼拝

何度でも御心を祈り求める
井東 元 執事
ルカによる福音書22章39-46節井東奨励中2

【ルカによる福音書22章42節】
父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。

ルカのオリーブ山の記事は、主が「いつものように」祈られ、御心を何度も求められたことを強調します。主はまず「この杯を…取り除けてください」と正直に願いつつ、ただちに「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに」と祈られました。同一箇所に二度出る「御心」は、祈りの中心が自己実現ではなく神の御心の実現にあることを示します。さらに「離れ」(引き裂かれて)の語と「石を投げて届くほど」という表現は、十字架の死を予感させる緊張と孤独を描きます。弟子たちは悲しみのうちに眠り、霊的距離が生じました。それでも主は孤独の只中で御心を求め続けられました。ルカは他の重要場面(洗礼、癒し、十二弟子の選び、ペトロの告白)にも「祈っておられた」と付記します。「いつものように」は、この日常の繰り返しの祈りを指し示します。祈りとは願いをぶつけるだけでなく、御心を聴き取り受け入れる順服の業です。青森バプテスト教会の働き――フードバンクとの協働、地域に開かれたコミュニティカフェ、多様な子どもを受け入れる幼稚園――はいずれも開かれた食卓と受容という福音の具現でした。私たちも教会主題「勇気を出しなさい」を掲げ、暗闇に祈りの松明を掲げつつ、どんな時にも御心を繰り返し祈り求め、愛と交わりを開く群れとして歩みましょう。ルカが使徒言行録へと希望をつなぐように、祈る群れに主は必ず働かれます。この祈りの歩みこそ、試練や孤独に引き裂かれる時にも、信仰を保ち、兄弟姉妹を力づける源となります。
【井東元 執事】

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2025年8月17日

主日礼拝

苦しみを共に、慰めも共に
内田泰亮 協力牧師
コリントの信徒への手紙 二 1章3~11節内田宣教中

【コリントの信徒への手紙二 1:4】
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

8 月も半ばとなりました。家族で旅行をされた方もいらっしゃると思います。私は家族旅行で軽井沢に行き、また長野県上田市にある「無言館」という美術
館を見てきました。「無言館」は戦争末期に招集され戦死された美術学生が家族に残した絵画を、家族から託され展示している美術館です。色々な絵が展示されていました。暗い絵もありましたが、家族や故郷を描いた絵か多かったと思います。そのどれも描いた人の優しさや愛が伝わってくる絵でした。
現代でも世界各地で戦争や紛争が起こっています。苦しんでいる人がたくさんいます。また平和な現代日本でも、様々な苦しみの中にいる人がいます。
苦しむ人の心を苦しみから解放する、苦しむ人を慰めるには、どうしたらよいでしょうか。誰かを愛するには、自分自身が愛を知っている必要があります。愛されている必要があります。本当の完全な愛を与えてくれるのはイエス・キリストの十字架と復活だけです。イエス・キリストの十字架と復活によって救われた人こそが、隣人を愛し慰め、そしてイエス・キリストの愛と慰めに導くことが出来るのです。
そうして世界中の人が慰められたなら、イエス・キリストの愛によって心が苦しみから解放されたなら、戦争は、その深い根から、なくなっていくと思います。
【協力牧師 内田泰亮】外掲示板

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2025年8月10日

主日礼拝

キリストのみ心を聖霊が教えてくださる
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書16章1~15節堀野宣教中2

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 (ヨハネによる福音16:13~14)

連日日本各地でこれまでにない暑さを記録しています。また、世界各地でも異常な高温と異常気象による豪雨災害が頻発しています。人間同士が領土や資源や富、互いの主義主張を固持して争い合っている場合ではありません。ロケットに乗って月を目指したところで、どのみち人間はこの地球でしか生きられず、神が与えた良き環境を享受して生きるしかなく、どんな主義主張を叫び、力で威嚇しても、人は永遠ではなく、神のようになることはできないのです。分をわきまえ、自分に神が与えた使命に全身を向けへりくだり、互いに愛し合い生きる時に、平和は平和の主である父なる神からもたらされます。
主に心を明け渡し、主の前にひざまずき天の父を礼拝しましょう。賛美と祈りにより主の臨在に満たされ、キリストが与える平和を自分自身の魂に受け取りましょう。あなたの魂は今平和ですか?肉体的精神的な疲れ、先の見えない恐れや不安、目の前の大きな壁や暗闇の中でも、良い羊飼いであるイエスさまがあなたと共におられ平和に導かれます。羊は真の牧者の声を聞きとり従います。それがわたしたちの明日を左と右に分けます。聖霊があなたの心に語りかけるキリストのみ心を日々聞きとり、その声に聞き従いましょう。現代は正直者が馬鹿を見る、フェイクや嘘、誇張やごまかしが至るところに満ちています。何が真実で何が嘘なのか、だれが見方で誰が敵なのか、考えれば考えるほど分からなくなります。しかし、聖霊がキリストのみ心、真の平和の道、キリストの知恵、いのちの祝福の選択を教えてくれます。そして、聖霊によってキリストのみ心を聞き従う人はキリストの栄光を輝かせる者として、この平和の灯りが消え失せそうな時代により明るく輝くのです。聖霊の助けによってキリストの栄光を輝かせましょう。

【牧師 堀野浩嗣】

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2025年8月3日

主日礼拝

教会は主により頼む
堀野浩嗣 牧師
エフェソの信徒への手紙6章10~20節牧師宣教中

【エフェソの信徒への手紙6:10~13】
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

8月に入りました。厳しい危険な暑さが続いています。お一人お一人の健康と日々の生活が主のみ翼の影に守られるように心からお祈りいたします。
日本において8月は平和を覚えて祈る時です。特に今年は太平洋戦争終結から80年を迎えます。戦争体験の証言者が少なくなり、生々しい戦争と平和の証言を聞くことが少なくなっています。一方で世界は武力を前提とした政治や国家形成に進む国々が増えています。人々の不安は強まり、自衛の名のもとに武力を増強する自国中心の考え方が支持を得ています。「平和を実現する者は幸いである」(マタイ5:9)のイエスの言葉に心を向けつつ、8/6広島原爆記念日、8/9長崎原爆記念日、8/15終戦記念日を覚え、世界に主イエス・キリストの十字架の贖いの血潮によって癒しと和解と平和がもたらされるようにとりなしの祈りをささげましょう。(8/10平和を覚える主日礼拝)
私たちキリストの教会はこの世の人間が生み出す富や武器、人間的な結びつきや知識によって強くなるのではありません。自らの罪と弱さを心底自覚し、いつも悪魔の策略に翻弄される私たちである事を自認し告白ます。どんなときも主により頼み、イエスが教会を愛されるように、互いに愛し合うならば、主はその偉大な力によって教会とクリスチャン一人ひとりを強めて、暗闇の力か救い出してくださいます。既に神の武具は私たちに与えられています。古びてさび付いていても、ほこりを払い磨きなおせば力を発揮します。神の武具を身に着け、信仰の戦いに出かけていきましょう。
【牧師 堀野浩嗣】外掲示板

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2025年7月27日

主日礼拝

自分を愛するように…。
小平公憲 牧師
レビ記19章17~18節小平公憲牧師宣教中

【レビ記19:18】
復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

≪小平公憲 牧師プロフィール≫
1960年生まれ。神奈川県出身。
大学卒業後、神奈川県の公立中学・高等学校・教育委員会の教員・職員として35年間勤める。東京バプテスト神学校神学専攻科を卒業。2024年4月より当教会 牧師
20代でバプテスマを受け、30代で横浜市港北ニュータウンに新規伝道に参加。横浜ニューライフバプテスト教会出身。
一女一男の父親。趣味は神奈川県近隣の野山に出かけること。ドライブ
今日は年に二回予定されている逗子第一バプテスト教会との交換講壇の今年度第1回目です。私たちの教会は2023年度より逗子第一バプテスト教会とパートナーシップ協力伝道を行っています。互いに祈りと福音宣教のパートナーとなって互いに祈り会、交わり、愛し合う関係づくりを目指しています。クリスチャンの目に見える力や教会の数や規模、働きに関係なく、主は互いに祈り合い、交わり、愛し合う人々の間に共におられ、ご自身をそこに表し、聖霊によって神様の愛と力を満たしてくださいます。教会どうしも、クリスチャンどうしも、そのような神様の大いなる恵みを一緒に味わってまいりましょう。それがわたしたちの一番の喜びです。そして、さらにそのようなキリストにあって一つとされる交わりとパートナーシップが広がっていくように祈りましょう。今日捧げられる逗子第一教会、横浜戸塚教会それぞれの礼拝の上に神様の豊かな祝福がありますようにと心からお祈りいたします。(横浜戸塚教会 主任牧師 堀野浩嗣)

 

 

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2025年7月20日

主日礼拝

理由なき憎しみと理由なき愛
堀野浩嗣 牧師
ヨハネによる福音書15章18~27節

【ヨハネによる福音書15:25~26】
25しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。
26わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。

あなたはイエスさまの友として歩んでいますか?それともこの世の友ですか?イエスさまは弟子たちに、私につながって歩み、私の命令に従って互いに愛し合うなら、あなたがたはわたしの友だとおっしゃいました。けれど同時にイエスさまの友として歩むとき、この世からは憎まれ、迫害を大なり小なり受けるのです。あなたはイエスさまの友として歩むがゆえの迫害や試練を通っていますか?もしYESなら、喜びましょう。あなたはイエスの友です。そして、既に神の国はあなたのところに来ています。どんなことがあろうと、イエスさまはあなたの親友です。そして、あなたがどんな状態だろうと、主はあなたを理由なき愛で愛し抜いてくださいます。主がアブラハムを愛し、モーセやダビデ、イスラエルを愛されるように。そしてイエスさまが弟子たちを愛し、迫害者パウロを愛されたように。
それでも人生の試練や迫害、様々な恐れや悩みの中で、誰の声を聞いて、自分の友が誰なのか?世の友に振り回されたり、自分は神から見捨てられていると感じたり、クリスチャンとしてどのように歩めばよいか分からなくなることがあります。でもそのような日のために主イエスさまは弁護者なる聖霊を与えると約束しておられます。あなたが分からなくても、あなたが何もできなくても、大丈夫です。イエスさまが弁護者として聖霊をあなたの内に与えています。私たちがイエスさまからはなれそうになる時のために、聖霊を与えておられるのです。あなたの内におられ、あなたを理由なしに愛される、聖霊の呼びかけと励ましを受けとりましょう。聖霊がイエス・キリストが真理であり、救い主であり、愛であることをあなたの代わりに証しして、神の国の支配をすでに来ています。

【牧師 堀野浩嗣】

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2025年7月13日

主日礼拝

イエスと出会ったその日から
宝田豊 牧師
フィリピの信徒への手紙3章5~9節宝田豊牧師宣教

☆みなさんおはようございます。毎日体温を超えるような厳しい暑さが続いています。一人ひとりの健康が支えられ、主の御翼の影に守られて歩むことができるようにお祈りしてまいりましょう。今年も宝田豊先生をお迎えして共に礼拝を捧げることができることを主に感謝いたします。温かく、力強い宝田先生の口から語られる主のみ言葉を通して一人ひとりを主が導いてくださるように心よりお祈りいたします。また宝田先生のお働きと健康の祝福のためにお祈りいたしましょう。

宝田豊牧師プロフィール
●東京都出身。クリスチャンであった実兄によって信仰に導かれ、1966年、バプテスマを受ける。1976年に渡米。1983年、クリスウェル大学修士課程を終了。1984年、リチャードソン市でノーステキサス日本語バプテスト教会を始める。2013年、30年の牧会後、対外宣教牧師として、日本とアメリカを往復しながら、日本各地での伝道とテキサス各地の伝道に奔走しておられます。

☆ビジョントリップin青森のためにお祈りくださり感謝いたします。3日間の短い時間でしたが、青森バプテスト教会の角本牧師夫妻、前任牧師の佐々木牧師夫妻、そして教会の兄弟姉妹の皆さんと本当に豊かな交わりをいただくことができました。そして、共に礼拝し、祈り、青森バプテスト教会に働かれる主の御業と御思いを一つ一つの証を通して知ることができました。そして、参加したメンバーと共にこれからの横浜戸塚教会の歩みや地域宣教、日本宣教のために深く祈り、主の導きを示される濃密な3日間でした。参加されたお一人お一人お一人の証や感想は8月と9月にかけてお話いただく予定です。また9月の最後の日曜日には青森バプテスト教会の角本尚彦先生が横浜戸塚教会に来てくださり、礼拝メッセージと午後のセミナーを行ってくださいます。ぜひ今から祈りつつご予定ください。そして共に自分自身の主からのビジョンと、また横浜戸塚教会のビジョンを祈り求め、主に聞いてまいりましょう。

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2025年7月6日

主日礼拝

いのちの私物化
杉野省治 牧師
マルコによる福音書12章1~12節杉野氏宣教2

今朝の聖書個所は、ぶどう園の農夫のたとえ話。ぶどう園の主人は神、ぶどう園はイスラエル、僕たちは預言者、農夫たちはイスラエルの民、愛する息子はイエス、他の人たちとは新しい神の民、教会のこと。だからここでは、神(ぶどう園の主人)はイスラエル(ぶどう園)に預言者たち(僕たち)を遣わすが、その民たち(農夫たち)は彼らを侮辱し、あるいは迫害し、あるいは殺害してしまう。最後に神はイエス(愛する息子)を遣わすが、農夫たちは息子をも殺してしまう。それゆえに神は彼らをさばき、新しい神の民、教会(他の人たち)に与えるであろう、ということになる(9節)。
ぶどう園というのは造るのに土地を耕し、木を植えるだけでなく、獣を防ぐ垣根を作り、やぐらを立て、酒ぶねの穴を掘るなどの準備をし、収穫が終われば、すぐぶどう酒を作れるようにいろいろな設備や道具一切を準備しなければならない。このように準備を整えたものを農夫に貸すのである。ここに、私たちの人生、あるいは信仰は神からの借り物であることが教えられている。イスラエルの民が神に愛された選民であることは神の大きな信頼を受けているということである。だから貸すのである。それはただただ神からの恵みである。同様に、私たちキリスト者にも神の大きな期待が寄せられている。それだけに私たちは神から問われなければならない存在である。イエス・キリストを知り、神の愛を知らされた者は、十字架の愛に応えて、どのように生きているのかという厳しい問いを受けるのである。そこに、神の愛を知った者、キリスト者には神に対して大きな応答の責任がある。
私たちのいのちは、神から与えられたものであり、かけがいのないものである。私のものであって、私のものではない。だから、いのちを私物化してはならない。イスラエルの民はぶどう園を私物化しようと、神からの問いを否定し、抹殺しようとした。それがイエスの十字架である。それを主イエスは指摘されたのである。
【杉野省治牧師】外看板

 

公開日:
最終更新日:2026/06/13