横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

*

主日礼拝メッセージアウトライン

こちらをクリックするとトップのページに戻ります

2019年6月23日 主日礼拝メッセージアウトライン

「主の足元に身を献げる」 使徒言行録4:32〜37 2019年6月23日礼拝メッセージスライド_ページ_4 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。(使徒4:32)

➢ イエス・キリストの十字架の救いと復活の命を聖霊によって信じた初代教会のクリスチャンは霊的歩みを日々繰り返し続け、生ける主を大胆に宣べ伝えた。

<霊的歩み> 主を待ち望む祈り → 聖霊 → 信仰(一致) → 行動(神の言葉を語る) → 主の臨在の体験(喜び、感謝、平安) → さらに主に期待する祈り →

<肉的歩み> 自分の主義主張・人の言葉 → 行動(自己中心) → 不信仰(不一致) → つまずきの体験(不安、怒り、疲れ) → さらなる人間の知恵力による解決 →  

使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。(使徒4:35〜37)

<バルナバの信仰>  主によって慰められ、赦され、変えられたバルナバ。彼は後にパウロを支えて、迫害者であったパウロと教会の間を取り持つ影の立役者となる。  

<アナニアとサフィラの信仰>(使徒5:1〜)  献げた物や働きの大小ではない。「主よわたしがささげるものを神様の働きのために用いて下さい」と、あるがままで心から信じてささげることを主は喜び求めておられる。

「なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。…あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:3〜4)  

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださる」(Ⅰペトロ5:6〜9)のです。自分の手に握りしめる人生から、私たちの足元に膝をかがめて足を洗い、罪の汚れすべてを引き受けてくださる主に委ね、信頼し、主の足元に身を献げる人生へ。 

 

2019年6月16日 主日礼拝メッセージアウトライン       

「十字架の信仰に立ち帰れ」 使徒言行録3:11〜20  

あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。 (使徒3:16)

➢ イエス・キリストの名の意味。「イエス」=イエシュア・ヨシュア(救う人)                 「キリスト」は称号 メシア・救い主  

人々に排斥され十字架に架けられたイエスは復活し、天に登り聖霊を降し、私たちと共におられ、救いを成し遂げられる。イエスの名に勝利がある(使徒3:6)

➢ 生まれつき足の不自由な男が癒され、神を賛美するように変えられたのに、人々はそれを見ようとしないし、知ろうとしないし、受け入れようとしない。キリストの十字架の血潮と聖霊によってきよめられ、信仰の目が開かれていますか?   

時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。(エフェソ5:16〜20)
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソ6:18)

➢ 初代教会は聖霊の助けによって始まり、聖霊により日々新しくされた。聖霊は彼らに重要なことを見分ける知恵と具体的に行動する勇気と平安を与えた。

➢ 2000年間教会は聖霊の時代を生きています。わたしたちも主が来られる日まで聖霊により頼み歩もう。  

だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。(使徒3:19〜20)

➢ 十字架の主に悔い改めて本心から向きを変えれば、主は聖霊を注ぎ、主イエス・キリストの慰めと恵みがその人の人生を満たす。
➢ どうせ今更、遅すぎることはありません。2000年間のキリスト教会とおびただしい数のクリスチャンが証人です。主の聖霊を今日受けましょう。

 

2019年6月9日 ペンテコステ(聖霊降臨日) 主日礼拝メッセージアウトライン

「終わりの時代に注がれる聖霊」 使徒言行録2:14〜21

神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。(使徒2:17〜18)

➢教会は人の力によってではなく、残された弟子たちの小さな群れに主が天から注がれる聖霊の力よって生まれた。

➢人間の肉体精神の力、科学や知識、経済の力がついえたように思える、終わりの時代にこそ神の力、聖霊の力にのみにより頼むべき時。 (ヨエル書1〜3章) 「主の名を呼び求める者は皆、救われる」(使徒2:21)

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒2:1〜4)

➢聖霊(ギリシャ語:プネウマ  ヘブライ語:ルアーハ)は「風」や「息」とも訳される。そして、本来の人間は神の息を吹き込まれて生きるものとなった。

➢聖霊は特別な技能や能力や霊的恍惚状態ではなく、人に造られた本来の命をもたらすもの、神との交わり、人間同士の交わりの回復。

➢聖霊の力  *故郷の言葉 (平安・やすらぎ)  *異なる言葉で一つの神の偉大なわざを語る (一致・調和)          *人々を驚かせた (驚き・不思議・戸惑い・あざけり)

➢聖霊は誰に与えられる?  主イエスの言葉を信じて一所に集まり、聖霊を待ち望むすべての人に与えられる

 

2019年6月2日主日礼拝メッセージアウトライン

「キリストはわが旗⑥〜キリストの礼服を着る〜」 マタイによる福音書22:1〜14

イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。・・・そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。(マタイ福音書 22:1〜10) 

➢イエスは「王の結婚」をたとえとして「天の国」がどのようなものかを語られた。「最初に招かれたにもかかわらず来なかった人」とは「イスラエルの人々」のこと。「王子」はイエス、「大通りの人々」は「異邦人」をさしている。王は大通りにいる全ての人、善人も悪人も、富める者も貧しい者も誰でも招いた。 

 

王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』(マタイ福音書22:11〜13)

➢神の国はそこに入るにふさわしいこの世の衣を身につけた人が入れる場所ではありません。主はご自身の血を持って私たちの汚れ、罪を洗い清め、キリストの礼服(義の衣)を準備して待ってくださっている。

➢古い衣(この世の価値観、肉の欲望、主義主張)を着たまま神の国の祝宴の喜びに集うことはできない。準備されたキリストの礼服を今、着るか着ないかです。

 

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。(マタイ福音書 22:14) 

➢主は全ての人を終わりの時まで神の国へ招き続けられる。そのためにはどんな必要も満たし、十字架で御子キリストによって恵みの大きさを示されたように、どんな犠牲もいとわない。 教育、医療、福祉、芸術、文化、人・・・キリストの福音にあこがれ、神の国の集いに招かれたキリストのファンは日本に多い。

➢主に選ばれることが大切。主はご自身の義と光と愛の衣を身に着けた人を友と呼び、その人の人生を生涯、喜びと感動と充実感に満たされる。(ガラテヤ3:26〜29、コロサイ3:9〜14、ローマ13:11〜14)

 

 

公開日:
最終更新日:2019/06/25