横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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主日礼拝メッセージアウトライン

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2019年10月13日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「静かにささやく主の聲」 列王記 上19章1〜18節

<疲れと恐れ>
それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」列王記上 19:3〜4
➢ エリヤはたった一人でバアルの預言者450人と戦い抜いたが、疲れ果て死を願うようになる。バアル信仰は人を疲れ果てさせ、孤独にし、祈れなくさせ、恐れを抱かせ、正しい思考を奪う。
「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高いところに置かれる」箴言29:25
➢ 主はみ使を送り「起きて食べよ」と、エリヤを励まし、養われる。(キリストにより魂に休養を得る必要)

<静かにささやく主の聲>
主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。 列王記上19:11〜13
➢ 肉体的、精神的な休養は大切。しかし、すべての人が主なる神との交わりの中で魂に聖霊を注がれ、キリストの命と愛によって癒され、満たされる必要がある。
➢ エリヤはどこで主とお会いしましたか? わたしの外面的なプログラムや活動、勉強や人間付き合いの中で主にお会いするのではない。主はあなたの心の中の一番小さく、汚い部屋であなたにお会いになって、静かに語りかけてくださる。「私はあなたの生ける主である」と。

<復活のキリストと生きる人生は最高>
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。・・・「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。                        ローマの信徒へ手紙 10:9〜13
➢ わたしたちが信じる主イエス・キリストの父なる神様は、ものを言わぬ偶像の神々とは違って、生きておられて、わたしたち信じる者に語りかけてくださり、現実に助けてくださる。
➢ どのような試練や苦難の日にも、主を信頼することが大切。主に祈り求める人に主は聖霊を送られ、聖霊が生きて働かれるキリストの静かに語りかける声をあなたの耳と心に届けてくださる。

 

2019年10月6日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「あなたを養われるお方」     列王記上17章1〜16節

<バアル信仰との戦い>
「オムリの子アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。彼はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。」列王記上 16:30〜31
➢ バアルは雨露を支配し、豊作をもたらす偶像神。バアルは「主」「夫」「所有者」の意味。人間の欲望(人間中心の価値観)を満たす神。
➢ 主はカナンの地にイスラエルの民が足を踏み入れる前に十戒を与え、人をお造りになった主だけを愛し礼拝し、人が作った神や像を拝んではならないと約束させた。(申命記5:6〜10)
➢ イスラエルはバアルや偶像神を拝む誘惑に陥り、次第にバアルを迎合していく。

<預言者エリヤ>
ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤはアハブに言った。「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう。」列王記上17:1
➢ 預言者として立てられたエリヤはイスラエルを治めていた王アハブに、わたしは造り主なる神だけをわたしの主(オーナー、王)とすると宣言した。
➢ あなたの主は誰ですか? 誰をわたしの主とするかで人生は決まる。

<わたしを養ってくださる主を体験的に知る必要>
「ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしは烏に命じて、そこであなたを養わせる。」 列王記上 4:7〜8
「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」 列王記上 4:9
➢ 主はエリヤに川のほとりで毎日カラスに食べ物を運ばせ養われた。さらに主は一人のやもめの家のわずかな油とわずかな粉で養ってくださる。
➢ 主はあなたを養ってくださる。烏も、サレプタのやもめも、キリストを指し示す型。主はキリストの十字架によって死さえも克服し、復活の命を与えてくださる。
「主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。」 列王記上 4:16
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 マタイ6:33

 

 

2019年9月29日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「生きた教会づくり」④ 〜キリストの再臨に備える〜 テモテへの手紙二 4:1〜8

<クリスチャンの人生 旅プラン>
「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。」Ⅱテモテ 4:1
➢ 「イエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(使徒1:11)
➢ イエス・キリストは二度、地上に来られる。一度目は2000年前、この地上に生きるすべての人間の罪を十字架で贖い、永遠の命をあたえるため。つまりこの地上で罪から救うため。  しかし、もう一度、キリストは再臨される。それは、やがてこの宇宙が終わる時、栄光の衣を身にまとい、雲に乗って、この宇宙から救い、高次元の新天新地に迎え入れるために来られる。(ヨハネ黙示録21〜22章)

<キリストの再臨に備える>
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。・・・だからあなたがたは用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」   マタイ24:36〜44
「終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。・・・・」Ⅱテモテ 3:1〜9

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。・・・しかしあなたがたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」Ⅱテモテ 4:2〜5
➢ 聖書は神の言葉であり力です。そして、地上においてすべての罪から救い、新しい命へと導く知恵です。
➢ 聖書の真理を知った者にはそれを伝える務めがあります。主から託されたみ言葉を自分の頭の中だけにしまいこんでいたなら、主が来られた時、なんと言われるでしょうか?

<決められた道を走りとおす>
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」 Ⅱテモテ 4:7〜8
➢ 地上の教会とクリスチャンは再臨のキリストという旗印に向かって一人一人に決められた道を走る。地上の勝ち負けや、働きや物事の大小や数でどんなに優位に立っても、純真な信仰(神の栄光と神の国をただ求める信仰)を守り抜き、キリストから義の栄冠を受けることを望みとする。

 

2019年9月22日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「生きた教会づくり」③ 〜霊的祈りの戦い〜  フィリピの信徒への手紙4:1〜9

<命の冠を目指す、クリスチャンの戦い?>
「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。・・・なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」  フィリピ4:1〜3
➢ クリスチャンの戦い サタンの攻撃により、福音に背を向け、罪の姿に逆戻りすること。
➢ 福音(グッド・ニュース)・・・ わたしは造り主なる神に愛されて造られた。そして、愛する私を罪と滅びから救うためにキリストが十字架に架かり、自分を犠牲にして救いだしてくださる。
➢ サタンは福音から引き離す攻撃を巧みに仕掛けている。教会はそれにどう立ち向かう?

<霊的戦いのプラン1  祈り>
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」 フィリピ4:6〜7
➢ 「祈り」は呪文やお経ではない。「主はすぐ近くにおられます」(5節)とあるように、どんな時もわたしの目の前の主を信仰の目で見つめ、一緒にいてくださる主を心から喜んで、目の前におられる主に心のあるがままを会話するように話す、それが「祈り」。
➢ 霊なる主は肉の目では見えない、しかし、信仰によって結ばれた兄弟姉妹は見える。
「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 マタイ 18:19〜20

<霊的戦いのプラン2 聖書の言葉>
「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」 フィリピ 4:8〜9
➢ 戦いに備えて心と体と霊が健康でなければなりません。特に心と魂の健康が現代社会では重要です。 私たちの心と魂は言葉によって養われます。私たちの心を健やかにする言葉(真実、徳、正しさ、きよさ、愛、希望)はすべて聖書の中にあります。聖書こそBook of Booksです。
➢ 心と魂がみ言葉によって健やかになれば自ずと、考え方と行動が変化します。

 

2019年9月15日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「生きた教会づくり」② 〜一粒の種から生まれるもの〜 フィレモンへの手紙 8〜22

<パウロから愛する協力者フィレモンへ>
「それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、 むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。」 フィレモン8〜10
➢ 紀元55年ごろ、年老いたパウロは協力者であり、コロサイにある家の教会のリーダー、フィレモンに個人的な手紙を書いた。 後の初代教会は、このパウロからフィレモンへの小さな手紙を教会における伝道牧会の重要な教えとして継承し、400年ごろに聖書66巻の一つと認めた。

<愛する兄弟オネシモ>
「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。」 フィレモン11〜12
➢ フィレモンの奴隷として仕えていたオネシモは主人の元から逃げた。パウロはそのオネシモと出会い、悔い改めへと導いた。役に立たない者から役に立つ者へ、主イエスの十字架と贖いによって、オネシモは自我を砕かれて変えられた。復活は誰の人生にも必ず起こる。
➢ しかし、逃亡者オネシモがこの世で役に立つためには主人の元へ帰り、許されなければならない。フィレモンが赦し、オネシモを愛する兄弟として受け入れることで神の救いは実現する。

<神の国の実現(リアリティー)は赦しから始まる>
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」 コロサイ3:13〜15
➢ パウロは、オネシモをフィレモンとその群が受け入れ合う赦しと平和の体験が、後の教会にとっての一粒のからし種(マルコ4:30〜32)の体験になると確信した。
➢ 神の国はパーストゥパースン(一人から一人へ)の世界です。キリストにあって一つにされる時、それぞれの価値と意味が与えられ、大きな実を結ぶ。

 

2019年9月8日 主日礼拝 メッセージアウトライン
「生きた教会づくり」① 〜これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛〜
 コリントの信徒への手紙一 13:1〜13

<愛がすべての土台>
「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」 Ⅰコリント13:1〜2
➢ この愛はキリストによって示された神から出る無条件で無償、永遠の愛。(4〜7節)
➢ 人間はこの愛を提供できない。つまり、教会もクリスチャンも神にただ一方的に愛されているので尊く、この神の愛に基づくすべての行いや営みに永遠の喜びと価値がある。
➢ キリストの愛から離れれば、どんな高価で崇高な行いも、無価値、無益。

<キリストの愛に安らぐ>
「愛は決して滅びない。」(新共同訳)
「愛は決して絶えることがありません。」(新改訳2017) Ⅰコリント13:8a
➢ 現代人の「自分はこの世に生きていたって価値も意味も無い」病を癒すのは神の愛だけ。
➢ 聖書は「人を愛しなさい」の前に「神に愛されていることを知り、それを受け入れなさい」が第一のメッセージ。キリストの愛を受け入れ、圧倒的な十字架の愛によって安らぎ、キリストによって愛されていることだけを誇りにする。

<器の底に最後まで残る愛>
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」 Ⅰコリント13:13
➢ どんな試練も、苦しみも、欠乏も、クリスチャンと教会の器の底には、愛は最後まで残る。
➢ この愛を受けた者だけがキリストの愛を語りだし、キリストの愛で自分を愛するようになり、やがて、キリストをまねて、小さな愛から始まって、偉大なことを成す人として用いられる。

 

 

2019年9月1日 主日礼拝 メッセージアウトライン      
「元気を出しなさい」   使徒言行録27:13〜26

<励ましの人であれ>
わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。使徒26:17〜18
➢ パウロは生涯、どんな時、どんな場所、どんな人にも主イエスから与えられた使命に生きた。それはユダヤ人も異邦人もイエス・キリストの福音を伝え、罪と暗闇との戦いの中にいる人々をみ言葉の約束によって励まし、元気づけること。
➢ 「励ましの人」(チアリーダー)  ← すべてのクリスチャンに主から与えられた使命。

<嵐は誰にでもある>
ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。 使徒27:13〜15
➢ 真の「励ましの人」となるためには、人生の嵐を主の目で上から見つめ、留まる力を養う。  ペトロの手紙一 4:12 「人生の試練や嵐を驚き怪しまない」
➢ 嵐の原因は? 自然現象、自己中心からくる高慢や燃え尽き、周りの人々の攻撃や無理解、 不信仰(忍耐して主に聞き尋ねない)・・・etc

<元気を出しなさい>
ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。 使徒27:25
➢ 真の「励ましの人」となるためには、聖書の信仰告白(主の励まし)を自分の信仰告白とする。 ローマの信徒への手紙15:4
➢ 馴れ合いの励ましは無力、しかし、ただ主に望みを置いて主への信仰告白を生きるとき、主は人生の嵐から助け出し、地上の人生の目的地へ導き、天国へ引き上げ、主が再び来られる時、復活さえも備えてくださる。  イザヤ書43章1〜4節

 

 

公開日:
最終更新日:2019/10/13