横浜戸塚バプテスト教会 Yokohama Totsuka Baptist Church

日本バプテスト連盟 Japan Baptist Convention

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主日礼拝メッセージ(Sermon)

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 2026年8月30

助け手の必要
堀野浩嗣 牧師
創世記2章15~25節堀野牧師宣教中

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」                     
創世記2章18節

神はこの世界を創造し、造られたすべてを見て「極めて良い」と言われました。しかし創世記2章18節には、創造の物語の中で初めて「良くない」という言葉が出てきます。それは、「人が独りでいること」でした。
これは単に独身や独居が良くないという意味ではありません。人間は、神との関係だけでなく、他者との交わりを必要とする存在として造られたということです。神はアダムに園を「耕し、守る」という大切な使命を与えられました。しかし、その使命を一人で背負わせることはされませんでした。
それゆえ、神は「彼に合う助ける者を造ろう」と言われます。「助ける者」と訳されるヘブライ語「エゼル」は、単なる補助者という意味ではありません。旧約聖書では、神ご自身が与える助けにも用いられる言葉です(詩編121編)。また「彼に合う」には、互いに向き合い、応答し合うという意味があります。神は私たちを、一人で生きるのではなく、喜びも重荷も分かち合い、支え合いながら生きる者として造られたのです。
しかし、人の助けには限界があります。助け合いたいと願いながら、傷つけ合うこともあります。だからこそ、私たちの究極の助けであり、平和である救い主イエス・キリストが必要なのです。
私たちは助けを求めてよいのです。むしろ助け手が必要です。そして、主から助けを受けた者として、今度は誰かの助け手として遣わされていきましょう。主が、私たちを用いて、神のシャローム(平和)を回復し、広げてくださいますように・・・。

メッセージを受けての黙想の質問
 自分に助け手が必要と認めることは弱いことでしょうか?そうではないでしょうか?
 あなたの人生に、これまでに主が送ってくださった「助け手」は誰でしょうか?
 今週、主はあなたを誰かの「助け手」として、どのように用いてくださるでしょうか?

【牧師 堀野浩嗣】

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 2026年8月23

神の平和の担い手
堀野浩嗣 牧師
創世記1章26~31節堀野牧師宣教中

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。
男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。 
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」                    創世記1章27~28節

神は世界を創造し、「良い」と言われました。そこには神のシャローム(平和)がありました。そして神は、その平和を受け取るだけでなく、この世界に担う者として人間を造られました。
人は「神のかたち」に造られました。ヘブライ語で「かたち」は「ツェレム」といい、「像、イメージ」を意味します。私たちは神そのものではありませんが、神の愛や憐れみ、正しさや平和をこの世界に映し出す者として造られたのです。
また神は、人を「男と女」に造られました。男も女も等しく神のかたちであり、その尊厳に優劣はありません。神の平和は、違いを持つ者たちが、互いの尊さを認め、助け合いながら共に生きることによってこの世に映し出されて行きます。
さらに神は私たちに、この世界を「治める」特別使命を与えられました。治める(支配する)とは、自然や人を自分の都合で利用することではなく、神の御心と言葉に従って守り、育て、祝福することです。
しかし私たちは神よりも自分を王にしてしまい、平和を失いました。だからこそ、キリストは十字架によって私たちを神と和解させ、「私たちの平和」となってくださいました。まず私自身をキリストに治めていただく。そこから神の平和の担い手としての歩みが始まります。今週もキリストに明け渡し、平和を担う一人として歩んでまいりましょう。

メッセージを受けての黙想の質問
 あなたは日々の生活の中で、神のどんな姿を映し出しているでしょうか?
 あなたは「神のもとで」ではなく、「自分の思い」で人や物事を支配しようとしていないでしょうか? イエス・キリストに明け渡すべきところはどこですか?

【牧師 堀野浩嗣】

 

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 2026年8月16

バラバラでも一致する教会
内田泰亮 協力牧師
ローマ信徒への手紙 12章3〜16節

兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
ローマ信徒への手紙 12章10,11節

『公同の教会』という言葉があります。これは普遍的な教会という意味で、「古今東西、全ての教会は一つの永遠の教会の一部である。」という考え方です・つまり、昔あったけれど今はない教会も、今はないけれど未来にできる教会も、そしてその世界中の全ての教会が一つの教会であるという意味です。バプテストもルーテルも、カトリックもロシア正教も、一つの教会です。そして、古今東西全てのクリスチャンは『公同の教会』という一つの教会の教会員であるという意味です。
聖書では、互いに愛し、尊敬し、霊に燃えて、主に仕えるように言われています。
実際、戸塚にある教会は、教派や教団を越えて「とつか合同クリスマス」を共同で開催するくらい教会同士の仲が良く、共に愛し尊敬し主に仕えていると思います。
ですが世界を見ると、多くの教会は、それぞれの信仰や神学で分かれて、それほど仲良くありません。歴史の中では宗教改革の時に戦争も起きました。現在の現実の世界の教会は、バラバラで一致できていないように見えます。
『公同の教会』に対して、各地域にある教会を「地域教会」と呼ぶ事があります。『公同の教会』が一致する為には、各「地域教会」が一致した教会であることが基本となります。では、その「地域教会」の一つである、私達の横浜戸塚バプテスト教会は、一致できているでしょうか。
あくまで私の主観ですが、よく一致できていると思います。そして所属している日本バプテスト連盟に対しても、「キリストにあって一致して主に仕えるように」といつも祈っています。素晴らしいと思います。
私達がこれからもこの一致を続けていく為には、より強く一致する為にはどうしたらいいでしょうか。 一般の地域教会が一致する為に、教会員はどうであればよいでしょうか。今日は、ローマ信徒への手紙 12章から、その事を一緒に聖書に聞いて学んでいきましょう。

【協力牧師 内田泰亮】

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 2026年8月9

和解による平和
杉野省治 協力牧師
マタイによる福音書5章21〜26節杉野牧師宣教中

聖書から「平和」について考えてみたい。どの宗教にも重要な戒律がある。ユダヤ教の場合は、「十戒」(出エジプト記20:2-17)を中心とした「律法」である。似たような戒律はイスラームにもあるし、仏教にもある。紀元前18世紀に作られた人類最古の成文法と言われている「ハムラビ法典」にも共通の部分がある。その意味では、「十戒」は人類に普遍的な「道徳律」と言えるかもしれない。
しかし、ユダヤ教徒にとってはそれは単なる「道徳」を超えた、特別の意味を持っていた。つまり、彼らはそれを「神の」命令として受け止めたのだ。さらに、その律法について、主イエスご自身は山上の説教で、自分が来たのは律法(十戒)を「廃止するためではなく、完成するため」であると言われ、その「一点一画も消え去ることはない」(マタイ5:17-18)と明言している。しかし、その重要性を最大限認めながら、同時に、十戒の条文を「原理主義的に」守ろうともしなかった。むしろ、律法の中で「最も重要な掟」は「神への愛」と「隣人への愛」であるという洞察(マタイ22:37以下)に基づいて、「十戒」を新しく解釈し直したのである(マタイ5:21以下)。私たちが「十戒」を読むとき大切なのは、主イエスが示されたこの道ではないでだろうか。
キリストは、「敵意という隔ての中垣」(エペソ2章)を取り除かれた。これが私たちの希望である。すでに主は勝利されており、敵意の問題は解決している。この希望を信じる私たちは、地上から敵意がなくなるように努力するだけである。
戦争のために「正当化の理由」を探すのではなく、敵意を取り除くというキリストの業に参与することによって地上から戦争の備えと戦争そのものを無くすのである。殺すなという戒めは、単に命を奪わないということのみならず、この世界から敵意を取り除くというキリスト者の使命を指し示している。これが和解による平和の構築。これがキリスト者の使命。
こんなことを言うとすぐ、そんなのは理想主義だと言われる。現実を見ろと言われる。しかし、現実を見るからこそ、現実を冷静に見るからこそ見えてくるもの、それが敵意という壁である。だから、それを取り除こうという働きをしていこうとしているだけである。そのために具体的などんな働きがあるか。いろいろあると思うが、中村哲医師のアフガニスタンでの働きはまさにそういう働きだったのではないだろうか。具体的な働きを通して信頼関係を作っていく。時間がかかるかもしれないが、急がば回れ。忍耐と努力が必要である。

【協力牧師 杉野省治】

 

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 2026年8月2

神が造られた平和
堀野浩嗣 牧師
創世記1章1~25節牧師宣教中

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記1章1~2節)

8月は平和を覚えて祈る月です。しかし、世界には戦争や暴力、分断、災害が広がり、私たちの心にも不安や混乱があります。聖書は、そのような現実の中で平和がどこから始まるのかを教えています。
創世記は「初めに、神は天地を創造された」(創1:1)という言葉で始まります。平和は人間の努力や知恵からではなく、すべての始まりである神から与えられます。たとえ私たちの人生が混沌としていても、神はその中に新しい創造を始めてくださるお方です。
神は「光あれ」と語られ、その御言葉によって光が生まれました。神の御言葉は今も私たちの人生を照らし、混乱を希望へ、暗闇を光へと変える力を持っています(ヨハネ福音書1:1~4、マタイ福音書4:4)。また神は、光と闇を分け、それぞれを本来あるべき場所に置かれました。聖書の語る平和(シャローム=完全な)とは、自分勝手な生き方ではなく、すべてが神のみ言葉と御心に従って整えられている状態です。
そして神は、造られた世界をご覧になり、「極めて良かった」(創1:31)と言われました。罪によって失われたこの平和は、十字架によって私たちを神と和解させてくださったイエス・キリストによって回復されます(エフェソ2:14~17)。今月、神の創造の御業に立ち返り、「私たちの平和」であるキリストを見上げながら、家庭、教会、地域に平和をもたらす者として歩んでまいりましょう。

メッセージを受けての黙想の質問
*あなたはどのようにしてイエス・キリストと出会いましたか?
*今、あなたは何に人生を投資していますか?
【牧師 堀野浩嗣】

 

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公開日:
最終更新日:2026/08/31