横浜戸塚バプテスト教会 Yokohama Totsuka Baptist Church

日本バプテスト連盟 Japan Baptist Convention

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主日礼拝メッセージ(Sermon)

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2022年26日(日)主日礼拝
宝田豊 牧師

「眠っておられるイエス」
マルコによる福音書4章35〜41節説教宝田豊牧師

 今回の箇所では、弟子たちがイエスと共に船で反対側に向かって船出したことが記されています。ところが、途中で嵐に遭い、大きな波に翻弄され、彼らが乗っていた小さな船は今にも転覆しそうな状況でした。弟子たちはパニックを起こしていました。ところが、イエスは艫の方で横になっておられました。

 嵐の中で命の危険を感じた弟子たちは、何もせずに横になっておられるイエスの姿を見て、心に憤りを抑えきれなかったようです。イエスに言い寄っています。まるで、自分たちがここで命を落とすことになったら、それはイエス様、あなたの所為ですよ、と言わんばかりです。この弟子たちの行動から分かるのは、彼らのイエスに対する信仰の未熟さと、イエスのことを真実には理解していないということです。もしイエスのことを正しく理解していたら、彼らのイエスに対する接し方は違っていたでしょう。

 では、わたしたちはどこまでイエスのことを分かっているでしょうか。弟子たちは、今回のことで自分たちの信仰の弱さを思い知らされたことでしょう。それにも拘わらず、この後も繰り返しイエスの前に不信仰な姿を曝け出し、イエスから叱責を受けていました。わたしたちもこの弟子たちの様に信仰があると言いながら、イエスに「不信仰な者よ」と叱られるような生活を繰り返し送ってはいないでしょうか。

 しかし、イエスはそんな弱いわたしたちのことを、決して見捨てることをなさいません。今も天にあってわたしたちの為に執り成しをして下さっておられるのです。ですから、不信仰に悩む人がいるなら、大切なのは、それでもイエスから目を離さないということです。イエスへの信仰に生きる者を、それがどんなに弱い者であっても、イエスは見放すことをなさいません。むしろ、その弱さをも用いてその人の霊性を高め、更に成熟したクリスチャンとして成長させて下さるでしょう。
【牧師 宝田豊 ノーステキサス日本語教会】掲示板

 

 

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2022年19日(日)主日礼拝
堀野浩嗣 牧師

「城壁の完成 ビフォーアフター」
ネヘミヤ記8章1~12節説教タイトル画

 本日のネヘミヤ記8章の御言葉はエルサレムの神殿と城壁が、エズラとネヘミヤの指導によって52日間で再建された後のイスラエルが主の民として回復していく場面が感動的に描かれています。目に見える建物としての神殿と城壁の復興が、主の導かれるゴールではありません。目に見える建物が完成し、それが与えられる以上に、目に見えない霊的な神殿(主の臨在に溢れる霊と真理の礼拝)と、霊的な城壁(キリストのとりなしの祈りによって外側も内側も守られ、神の国の平安と安心に生きる日々の信仰生活)の再建こそがゴールです。そして、霊的神殿と城壁の完成の時は、本当に大切のことに気づいた主の民の回復と新しい人生のスタートでもあったのです。

集まりの回復
「民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。」(1節)
 散らされバラバラだったイスラエルが、共に集まり、一人の人のようになり、集まりが回復した。一人ひとりがキリストの体の肢体となって生き生きと生きるようになる。

傾聴の回復
「彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。」(3節)
 主のみ言葉への飢え渇きが起こり、老若男女が熱心に聖書のみ言葉に傾聴するようになった。

アーメンの回復
「エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、『アーメン、アーメン』と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。」(6節)
 主のみ言葉、主が示されるご計画の全てを、人間的には嬉しいことも悲しいことも、成功も失敗も、全能の主の手にあると信じ委ね、アーメン(その通りです)と応答した。

喜びの回復
「総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。『今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。』」(9〜10節)
 民は主が語られた主の律法の言葉を受け取りました。そしてそのみ言葉を自分自身に主が語られたメッセージ(コーリング)として受け取ったのです。霊的な神殿(礼拝)と城壁(信仰生活)を通して、私に語りかけ、私を主の民、神の子、主イエスの弟子へと導き招き、私たちを赦し、新しくし、神の国のために用いてくださる主との関係に生きるようになることこそが私たちの本当の喜びと力の源です。私たちも横浜戸塚教会で日々の礼拝生活・信仰生活を祈りと信仰を持って再建しましょう。そして主からのコーリングを受け取って喜びと力に満たされ歩んでまいりましょう!

メッセージ牧師

 

 

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2022年12日(日)主日礼拝

「城壁はありますか?」
ネヘミヤ記4章1~17節
堀野浩嗣 牧師

 

わたしは見回して立ち、貴族や役人やその他の戦闘員に言った。「敵を恐れるな。偉大にして畏るべき主の御名を唱えて、兄弟のため、息子のため、娘のため、妻のため、家のために戦え。」・・・ 城壁を築く者、もっこを担いで運ぶ者は、一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取った。  ( ネヘミヤ記 4:8、11 )

 今から約2500年前のユダヤのエルサレムでのネヘミヤの神殿と城壁再建の物語は、クリスチャンとしての、あるいは教会としてのミニストリー(神の国の働き)を建て上げる事であり、また、一人一人の霊的神殿と城壁の再建でもあります。霊的神殿とは、イエス・キリストの十字架の血潮による贖いと復活の命を求め、信頼してささげる真の礼拝です。霊的城壁とは主イエスの十字架でのとりなしと、聖霊の助けにより守られ支えられる平安と喜びと感謝に満ちた信仰者の具体的な祈りの毎日です。
 どちらの取り組みにせよ、ユダヤの民が70年間完成させることができず、絶えず誘惑と戦いがありました。ネヘミヤと共にユダヤの民が城壁を再建し始めると早速、妨害が起こったように、いつの時代にも、神の御業が成し遂げられようとすると、それを妨害する悪魔(サタン)の働きがあるのです。外からの妨害とそれをきっかけにした内側での葛藤や争いや分裂です。しかし、ネヘミヤ記から学ぶべき事は、いかなる嵐にも慌てないで、落ち着いて、主の救いのみ業に目を開き、心を向け、委ねるべきことを主に委ねて祈り、与えられた賜物に応じてなすべきことを、勇気を持って黙々と行う信仰です。
 ネヘミヤはどんな時も即座に神に祈りました。そして、恐れに振り回されないで、主を信頼するように人々を励まし、具体的な方法を教えたのです。それは昼夜問わず、同時進行で一人一人が手と腰に武具を身に着けつつ、城壁の資材を担いで各々の仕事をすることでした。わたしたちが身につけるべき武具とは祈りとみ言葉です。私たちも、いかなる時でも、なにをしているときも主の御名によって祈り、聖書のみことばの真理と約束を信じて歩むなら、主はわたしたちの城壁を完成させてくださるのです。
 今私たちの目の前には様々な恐れや不安、多くの課題があるかもしれません。しかし、神の武具を身に着け、それぞれの持ち場につき、主が成し遂げてくださると信じて、城壁建設の仕事を一つひとつ積み上げて行きましょう。横浜戸塚バプテスト教会に堅固な城壁が完成するまで、私たちは互いに協力し、朝も、昼も、夜も、主に目を注いで、「主よこの工事をあなたの手によって完成させてください」と祈り続けましょう。


メッセージの動画

 

 

 

 

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2022年6月5日(日) 主日礼拝

「しののめを待ち望む祈り」
ルカによる福音書11章5~13節

 イエス・キリストは人としてこの世に生まれ、父なる神の教えを数多くのしるしを持って説き明かしつつ歩まれ、すべて罪を負い十字架にかかり救いを完成し、三日目に復活されました。さらにこの復活の主イエスは40日間にわたって、ご自分が生きておられることを人々に示し、聖霊降臨の約束をされて後に、天に上げられました。その約束通り、復活から50日目のペンテコステ(五旬祭)の祭りの日に、聖霊が弟子たち一人一人の上に降り、初代教会が誕生しました。その日から今日まで変わることなくイエス・キリストを救い主と信じ、聖霊の力を持ち望む人に聖霊は注がれ、聖霊の力により闇と死が支配する世界にキリストの愛と希望の光が与えられ、主の恵みが注がれ続けているのです。ペンテコステに来られるご聖霊を心から謝し、聖霊の油注ぎを求めて礼拝を捧げましょう。

真夜中の祈り
しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 (ルカ11:8〜10)

 今日の箇所には真夜中に祈る人の姿があります。なぜこの人は真夜中に起きていて祈っているのでしょうか?飢え渇く友の必要のため、この人を何とか助けたいという願いです。人は人生の真夜中に祈る時、神に出会い、また、隣人に出会います。そして、神は私たちの祈りを聞いて応えてくださいます。私たちがどんな人間か、経歴か、良い行いをしたか、どんな言葉で祈ったかは関係なく、罪や弱さがあっても、言葉がつたなくても、求め続け、探し続け、叩き続ける人の祈りに神は応え、必要なものを何でもくださるのです。


しののめを待ち望む
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカ11:13)

 このように私たちには、主に求めれば与えられるという約束と保証があります。父なる神は御子イエス・キリストを与えて下さったのです。聖霊も与えてくださいます。自分の欲や自己実現のためだけではなく、隣人やこの世界の飢え乾き、平和、霊なる魂の救いのために祈り続けましょう。そして、私たちの人生を聖霊に明け渡し、主の栄光を現わすため、思い切って大胆に祈り求めましょう。神は聖霊を下して、私たちの暗闇に必ずしののめ(東雲)を与えてくださいます。人間にはできなが、神にはできます。神さまに愛されている子どもとして、どんな時も祈り、しののめの光を聖霊によって与えられ歩みましょう。看板

 

 

 


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公開日:
最終更新日:2022/06/26