主日礼拝メッセージ(Sermon)
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2024年9月8日
主日礼拝
「信仰者の成長」
ペトロの手紙一 4:12~19
堀野浩嗣牧師
12愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。 13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。 14あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
(ペトロの手紙一4:12~19)
今日の聖書のみ言葉は信仰者には二つの苦しみがあると言っています。それは「キリストの苦しみ」と「この世の苦しみ」です。そして、前者のキリストの苦しみには喜んで積極的に、自ら飛び込んでいくように勧めています。一方で後者のこの世の苦しみからは身を避け、遠ざかってそのような苦しみを受けることも与えることもないようにと命じています。 なぜなら、キリストの苦しみを受ける者はたとえ弱くされ、困窮し、難儀でも、際限のない天の栄光と希望と勝利を聖霊の力によって主は与えてくださるからです。
イエス・キリストご自身も「キリストの苦しみ」を味わわれました。十字架に架けられるためにとらえられる前夜、ゲッセマネの園で「父よ御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく御心のままに行ってください」(ルカ22:42)と祈られ、自分の魂を主にゆだねられたのです。自分の肉(自我)を砕かれて、自分の魂を主の御心にゆだねることによってイエスは救いとなられました。
この世の様々な苦しみや怒りや憎しみに、肉の力や感情で応答し戦うこともできます。しかし、わが全身全霊を主の御心にゆだね、天の聖霊の助けと勝利にすべての望みを置いてキリストの苦しみを生きてみませんか。そのように私たちが日々を生きていくならば、信仰者の成長と実りが与えられるでしょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2024年9月1日
主日礼拝
「新しく生まれた者として」
エフェソの信徒への手紙2:1~10
堀野浩嗣 牧師
9行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 10なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
(エフェソの信徒への手紙2:9~10)
エフェソ2:1~2の「あなたがたは、以前は死んでいた。」という言葉はかなりインパクトがあります。罪のために神との関係が断ち切られている人は神に愛されていることが分かりません。自分がどこから来てどこへ向かい、何のために生かされているのかも分からないのです。生きていても死んでいるのと同じです。そして、この世の流れやノリや雰囲気にただ身を任せるだけです。唯物主義の自己中心に陥って、その行き着く先は滅びです。そのような生き方に導くのは世を支配し、空中に勢力を持つサタンです。クリスチャンも教会も注意しないとサタンが巧みに作る「空気」に飲み込まれてしまいます。サタンの「空気」を破る方法は「水をさす」、つまり口で自分の耳に聞こえるように信仰を告白し、み言葉を信頼し、行動を伴って聖霊に従うことです。あなたの生活や教会はどの「空気」に支配されていますか。どんなときも神の国を第一に求める勇気がサタンの「空気」を破ります。
イエス・キリストの十字架の贖いによる愛と恵みの力によって罪の支配、サタンの空気を突破し、キリストと共に新しく生まれた者として天の王座の権威と支配に自分の人生を明け渡しましょう。行いの大小や能力は関係ありません。あなたがサタンの空気をやぶって、キリストと共に毎日を生きるなら、あなたは神が行われる善い業のために用いられます。そして、あなたの人生はキリストにある新しい人生、天的な勝利、喜びや楽しみに満ちた神の最高作品となるのです。横浜戸塚バプテスト教会の群れになりたい、もっともっとなっていきましょう。
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2024年8月25日
主日礼拝
「終わりの時代の生き方」
ペトロの手紙一 4:5~11
堀野浩嗣 牧師
6死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。
7万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。 8何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 9不平を言わずにもてなし合いなさい。 10あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 (ペトロの手紙一4:6~10)
私たちは、この世にあって、人間の見方によってではなく、神との関係において、イエス・キリストのみ言葉に従い、絶えずものを見、考え、生きるように招かれています。そして、その招きに応えて生きる人がクリスチャンです。今日の聖書のみ言葉(ペトロの手紙一4:1~11)を読むと、そのことが記されています。人間の見方で見れば、罪の中で死んだような私たちかもしれません。過去、現在、将来・・・いつも自分の弱さや死の恐れを感じることが多々あります。しかし、人間の見方でなく、神との関係において見るように主は求めます。神との関係とは、父なる神が罪の中にある私たちを救うためにご自身の御子をこの世に送り、神の子を十字架で犠牲として、わたしたちを救い、完全な愛を示し、その愛をわたしたちは受けているということです。神との関係において、主の愛に生きるなら、肉においては死んでいるようでも、霊において生きるようになるのです。
私たちが生きる世界は万物の終わりを感じさせるような自然災害、戦争、事件事故が後を絶ちません。しかし、万物の支配者なる主を日々霊の目を開いて見つめ祈るなら、イエス・キリストの愛と平和に守られ、さらに互いに愛し合い、もてなし合う関係へとキリストが進ませてくださるのです。私たちの人生を主に明け渡し、すでに与えられている賜物を用いて仕え合い、主の栄光を現しましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2024年8月18日
平和を覚える主日礼拝
「和解による平和」
マタイによる福音書5章21-26節
杉野省治 牧師
ユダヤ教の教えは「律法」であり、その中心は「十戒」(出エジプト記20:2-17)である。その第6戒に「殺してはならない」とある。確かに私たちはこの戒めを知っているが、どこかで「正当な殺し」を模索していないか。「もし侵略されたら、もし愛する者が襲われたら、そんな時には相手を殺しても仕方がない」。確かにそんな「極限状態」に見舞われた時、この戒めを守ることができるかどうか心もとないものがある。戦争やテロ、クーデターが現に起こっている今日、なおさら私たちの思いは「正当な軍備」「正当な防衛」「正当な報復」へと傾いていく。
しかし、戦争は殺すこと、すべてを破壊すること。私たちは、戦争を否定する。そのための備えも、それに対する協力も拒否する。なぜなら軍備の必要性は、敵を想定することによって正当化されるからである。ミサイルを発射させ得るのは私たちの持つ敵意である。暴力の肯定、軍備、有事体制などを正当化するのは、すべて敵意である。そして仮想敵国を作り上げる。危機感をあおる。主イエスは、この敵意と殺しを同じことだと言われている。御言葉に生きる私たちは、敵意や軍備そのものを否定する。
キリストは、「敵意という隔ての中垣」(エペソ2章)を取り除かれた。これが私たちの希望である。すでに主は勝利されており、敵意の問題は解決している。この希望を信じる私たちは、地上から敵意がなくなるように努める。
戦争のために「正当化の理由」を探すのではなく、敵意を取り除くというキリストの業に参与することによって地上から戦争の備えと戦争そのものを無くすのである。殺すなという戒めは、単に命を奪わないということのみならず、この世界から敵意を取り除くというキリスト者の使命を指し示している。これが和解による平和の構築。これがキリスト者の使命ではないか。大変難しい使命だが、主がそれをなしてくださると信じて、その働きへと押し出されていきたいと思う。
【逗子第一バプテスト教会牧師 杉野省治】
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2024年8月11日
主日礼拝
「ピンピンの千円札とボロボロの千円札」
使徒言行録10:34~35
内田泰亮 協力牧師
【使徒言行録10:35】 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。
伝統を大切にする古い教会では、「礼拝は正装で参加する」、「献金はピンピンのお札を封筒に入れて奉げる」ことが当たり前となっていることがよくあります。確かに旧約聖書では、捧げものは「無傷のもの」「最上の初物」を捧げなさいという教えがありました。でも実際、ピンピンでもボロボロでも、千円札は千円札、価値は同じなのではないでしょうか。特に現代は世界中でキャッシュレス化が進んでいます。お札自体がなくなるかもしれない時代です。ピンピンとかボロボロとか意味がないのではないでしょうか。
「無傷のもの」「最上の初物」を捧げなさいというのは、神様が「無傷のもの」「最上の初物」を欲しがっているのではありません。神様を信じるという事、神様があなたの神様になるという事は、「神様が、あなた自身が喜んで自分の持っている「無傷のもの」「最上の初物」を捧げる存在になるということですよ」と教えているのです。
神様はピンピンの千円札もボロボロの千円札も区別しません。そして誰か、どこかの国や民族を特別扱いすることはありません。全ての人を同じように愛します。今戦争をしているどちらの国の人も同じように愛します。神様は全ての人の救い主だからです。
私達の祈りも、誰かや、どちらか一方を裁くのではなく、全ての人が救われるようなお祈りでありたいですね。
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2024年8月4日
主日礼拝
「教会はキリストの体?」
エフェソ1:22~23
Ⅰコリント12:12~27
【エフェソ1:22~23】 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。
【Ⅰコリント12:27】 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
今年の夏は例年以上の猛暑日が続いています。最も1年で暑さの厳しい8月を一人ひとりが乗り越えることが出来るようにお祈りいたしましょう。
先週はガッス先生をはじめとする香港チーム12名が猛暑の中、主日礼拝、夕礼拝でご奉仕くださいました。主日礼拝での賛美、夕礼拝ではメッセージ、証し、賛美、スペシャルプログラム(香港武術演舞と香港ミュージックショー)、そして香港ディーナーの夕べが行われ、普段夕礼拝に参加されている方や、教会てらこやライトハウスの参加者、湘南台教会や青葉教会の方々も加わり30名を超える方々が参加されました。香港チームの熱い祈りと奉仕と交わりに心から感謝をいたします。
教会はキリストを頭とする、キリストの体です。私たち一人一人はキリストを頭(心も意味します)とし、互いにキリストの体の各部分として結ばれ、共にイエス・キリストの御心のために働く有機体です。どんな偉大な信仰や知識を持っていても一人では何もできません。また、年齢、性別、人種や言語、能力や経験、教派や神学、また利害関係でつながるではなく、キリストが中心です。一人ひとりがキリストの体として賜物や力を用いて日々聖霊の助けによって信仰生活していく時、私たちはイエス・キリストが十字架を通して示された神の愛と復活の新しい命の希望に与り、キリストを世に証しすることになります。
神はすでに教会にキリストをお与えになりました! 教会がキリストの体であり、わたしも、あなたもキリストの体の一部であることを疑わないでいましょう。それぞれに与えられた新しい1週間、1か月を私たちを導き、共におられ永遠の命の水ですべてを満たすお方に従ってまいりましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2024年7月28日
主日礼拝
「夜明けを見て生きる」
詩編 57:1~4、8~12
8わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして、
あなたに賛美の歌をうたいます。
9目覚めよ、わたしの誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。 わたしは曙を呼び覚まそう。
12神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください。
(詩編 3:8~9、12)
先週7/24 (水)から香港宣教チームの12名の方々が私たちの教会に来会され、集会での奉仕と交わりをもってくださっています。本日の礼拝の中で特別賛美、また夕方の香港ナイト夕礼拝ではガッス牧師がメッセージ、またチームの皆さんが香港料理を準備してくださっています。ぜひ、今からでも夕方の香港ナイトにご参加ください。また、コーディネーターのジョー宣教師のお働きにも心から感謝をいたします。
6月~8月の教会の日々のみ言葉(週報第4面参照)では旧約聖書サムエル記上下を読み、特にイスラエルの王ダビデの生涯に心を留めています。イスラエルを統一し、イスラエル王国を堅固なものにしたダビデ王の生涯は華麗で、清く、立派だったかというと決してそうではありません。むしろダビデは何度も試練や失敗を通り、様々な攻撃や孤独や苦悩にさらされました。しかし、主の憐みと助けが与えられ、ダビデの心に植えられた信仰がダビデ自身を強め、主の目に正しい道を彼は乏しくも歩むことができたのです。
ダビデが人生で一番、苦悩と困難を抱えたとき、ダビデはその苦しみと暗闇の中で、憐みと助けを与えてくださる主により頼み、主に心と目を向け続けました。そして、そうすることで深い暗闇の中で自分の良心や信仰心さえも闇に染めてしまうことなく、天の上に高くおられる(高次元を治める)主を礼拝することによって真理の光、キリストの光を見ました。それゆえ、どんな暗闇が人生を覆っても、ダビデは信仰の目で夜明けを見て、人生を生きたのです。
私たちの人生にも試練や苦難、暗闇に閉ざされる時があります。しかし、天地を造られた主に心を定め、祈りと賛美を主にささげつづけましょう。必ずあなたの人生にも主が与えてくださる夜明けの光、キリストの光が昇るでしょう。【牧師 堀野浩嗣】
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2024年7月21日
主日礼拝
「いのちの祝福を受け継ぐ」
ペトロの手紙一 3:1~12
堀野浩嗣牧師
終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。 「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」 (ペトロの手紙一 3:8~12)
今日の世界には武力による身体的な暴力、言葉や関係性による心意的な暴力が溢れかえっています。社会全体が物心両面、特に霊的に飢え渇き、自己中心的になり、自分の考え、主義主張が受け入れられないことに怒りや憎しみを抱いています。様々なストレスは蓄積し、飽和すると他者や自分にぶつけ、ぶつけられるという悪の連鎖は、世界中で止むことがありません。むしろエスカレーションしている現状です。
だからこそ、今日の聖書のみ言葉で使徒ペトロが具体的に、夫婦の間、身近な隣人との間にあって、キリストと同じように、互いに従順と尊敬を持って生活することを日々心に留めましょう。そして、願わくはどんな人に対しても舌を制して、憐み深く、謙虚でありましょう。それだけで主を証し、キリストの光を輝かせることになります。なぜなら私たちは、いのちの祝福を受け継ぎ、隣人を祝福するためにイエス・キリストの愛の中に召されたからです。キリストの愛に触れ、キリストと共に隣人を愛し、隣人を祝福する人に、神は報いて、いのちの祝福を与えてくださいます。そして、その人の信仰を通してその人と共に生きる人々にもまた神の祝福は広がっていきます。
私たちの口と舌を悪しき者の道具にしてはなりません。天地万物を創造された神を賛美し、主のみ言葉の約束を宣言し、十字架において示されたすばらしい救い主イエス・キリストの愛と救いみ業を証しするために用いましょう。そして、この世の悪の連鎖の中で痛み、傷つき、生きる希望を失っている人々に聖書の神の愛と希望を伝え、励まし、祈り、いのちの祝福に共に与りましょう。
【牧師 堀野浩嗣】
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2024年7月14日
主日礼拝
本日の主日礼拝には逗子第一バプテスト教会の小平公憲(こだいら きみのり)牧師が宣教の働きをしてくださいます。小平先生は今年4月より逗子教会の牧師に就任され、6月30日に牧師就任式が執り行われました。心より歓迎いたしましょう。横浜戸塚バプテスト教会と逗子第一バプテスト教会はパートナーシップ協力伝道の関係を結び、共に祈り合い、励まし助け合いながら地域に伝道するパートナー、フレンドです。それぞれの教会での礼拝の祝福を祈りつつ、喜びと感謝の礼拝を主にささげましょう!
(横浜戸塚バプテスト教会 牧師 堀野浩嗣)
宣教 「ノアの箱舟のような時代」
小平公憲 牧師(逗子第一バプテスト教会)
【 ルカによる福音書 17:26~30】 26ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。 27ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。 28ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、 29ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。 30人の子が現れる日にも、同じことが起こる。
日曜ゴスペルメッセージ
https://youtu.be/kavXbWjraBw
小平公憲先生 プロフィール
1960年生まれ。神奈川県出身。大学卒業後、神奈川県の公立中学・高等学校・教育委員会の教員・職員として35年間勤める。東京バプテスト神学校神学専攻科を卒業。2024年4月より逗子第一バプテスト教会 牧師に就任。20代でバプテスマを受け、30代で横浜市港北ニュータウンに新規伝道に参加。横浜ニューライフバプテスト教会出身。一女一男の父親。趣味は神奈川県近隣の野山に出かけること。ドライブ
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2024年7月7日
主日礼拝
シリーズ 教会とは?
「教会のCEOはイエスさま」
【 エフェソの信徒へ手紙 1:20~22】
主任牧師 堀野浩嗣
【 エフェソの信徒へ手紙 1:20~22】 20神は、この力(大能の力)をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、 21すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。 22神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。
横浜戸塚教会では7月1か月間を神学校月間として覚えて祈りと献金をささげます。神学生牧師献身者とその家族、各神学校の働きを覚えましょう。またわたしたち一人ひとりも献身者、伝道者としてこの国の福音宣教のために今、立ち上がりましょう。現在、日本にはプロテスタント教会が約7000教会ありますが、統計によると現在の牧師の平均年齢は67.8歳(2015年)です。また、すでに全教会の約15%は無牧か専任牧師がいない状態です。そして、2030年には日本の教会の3分の1が消滅するとの予測もされています。今後は1教会1牧師ではなく、クリスチャン一人ひとりが与えられた賜物を用いて、イエスの弟子として仕えて行かなければ教会は立ちゆきません。わたしたちはイエス・キリストを頭とするキリストの体の一部分です。頭であるイエスさまに聞き従い、キリストの体の一部となって主の御心に生きることこそが真の献身なのです。
今日のメッセージでは「教会の頭(CEO、最高責任者、真の主任牧師)はイエス・キリストである」ということに心を留めましょう。 父なる神様はご自身の、大能の力をイエス・キリストの生涯、十字架と復活において示されました。神に不可能はありません。神のお働きを私たちが制御することはできません。聖霊は私たちを凌駕して働かれます!
そして、このお方が私たちのCEOです。自分がキリストに結ばれたキリストの体の一部、キリストの教会の一部として生きるなら、常に生活のあらゆる場面でイエスさまが私のCEOであることを考え、キリストの考え、思い、目に従って生活を具体的に建て上げましょう。あなたがイエスさまをCEOとして心に迎え入れ、キリストに結ばれ全権をゆだねれば、主はあなたの人生に驚くべき、聖霊の御業を起こしてくださいます。
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公開日:
最終更新日:2024/09/09