横浜戸塚バプテスト教会 Yokohama Totsuka Baptist Church

日本バプテスト連盟 Japan Baptist Convention

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主日礼拝メッセージ(Sermon)

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2023年2月5日 主日礼拝
「真の礼拝者① 魂を注ぎ出す」
詩編42編2~6節
堀野浩嗣 牧師宣教開始、zoomの皆さん・・・

 2月に入り、今年度も残すところ2か月です。そして、4月から新しい年度に入ります。今年になって繰り返し申し上げていますが、わたしたち横浜戸塚バプテスト教会は今年、礼拝開始40周年、教会組織36周年、そして、わたしが牧師として立てられて3月で満10年になります。一つの節目の年になると思います。わたしたちYTBC(横浜戸塚バプテスト教会)はどんなことを大切に祈り、心を一つにして歩み出せばよいでしょうか。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
(使徒言行録2:42)
 み言葉にある通り、聖書の教えを手本に「真の交わり」と「真の礼拝者」として歩むことを一人一人が熱心に求めて行きたいと思います。聖霊に助けられ、私たちの交わりと礼拝を通して、生きて共に働かれる主なる神を一人ひとりが体験し、互いに主の愛を分かち合い、証しする群れになりたいのです。

【詩編42:2~6】 
2 涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。
3 神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか。
4 昼も夜も、わたしの糧は涙ばかり。人は絶え間なく言う、「お前の神はどこにいる」と。
5 わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす。喜び歌い感謝をささげる声の中を。
祭りに集う人の群れと共に進み、神の家に入り、ひれ伏したことを。
6 なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう 「御顔こそ、わたしの救い」と。

◇魂の渇きに目を向ける
 人間には4つの渇き(痛み)があるとWHO(世界保健機構)が定めています。身体の渇き、精神の渇き、社会的な渇き、そして魂の渇きです。そして、この魂の渇きは造り主なる神によってしか満すこと、癒すことができません。今日の世界、特に日本社会は人々の魂が渇ききった状態です。鹿は渇きに気づき、生存のために命がけで谷を下り水の流れを探し求めます。私たちも主が与える命の水辺へと進みましょう。主の命の水は自分の魂の渇きを謙虚に認め、魂を注ぎ出して主にささげる切なる礼拝の土台から流れ出ます。

◇喜びと感謝の賛美、主を待ち望む祈り
 人生の様々な試練や労苦の中で「神はどこにいるのか」と思うことがあります。しかし、神の家に立ち帰り、救い主キリストの赦しと愛の前に身を横たえて礼拝をささげるとき、私たちは主からの安らぎと平安と魂の救いを得ることができます。ですから毎日、毎週、私たちを「主こそわたしの救い」と告白し、主を心から賛美し感謝をささげ、主を待ち望み祈り、魂を注ぎ出す礼拝をささげましょう。賛美と祈りに満ちた礼拝の中に主はおられます。


Q:あなたの魂は渇いていませんか? 飢え渇いた心で主を礼拝しましょう。

掲示板

 

 

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2023年1月29日 主日礼拝
「主に誠実に仕える」
ヨシュア記6章1~21節
堀野浩嗣 牧師説教中

【ヨシュア記6:2~5】 そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」 
 自分の力、人の力ではどうしようもないような高い城壁のような難題や試練に直面した時、みなさんはどのような考えや行動をとるでしょうか? エリコの城壁とその町を前にしたヨシュアとイスラエルの民は主の言葉を信仰をもって聞き、主に誠実を尽くして仕えました。それがエリコの城壁を崩す、7日目の軌跡を起こさせました。

◇これは信仰の戦い
 エリコの町は「死の町」と聖書では呼ばれています。万物の創造主なる神を知らず、道徳的な堕落と富と人間の欲望を中心とした偶像を礼拝する霊的な死の暗闇に満ちた町です。物理的なエリコの城壁以上に心理的な恐れがあったでしょう。しかし、主はヨシュアに「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。」(2節 口語訳)というのです。これは信仰の戦いなのです。私たちも人間社会の現実の中で聖書の言葉も祈りも役に立たないと思うことがあるかもしれません。しかし、主は、信仰の目で見よ、信仰の耳で聞け、主の御旗を掲げよ、わたしはあなたと共にいて、あなたの目の前の問題や試練をあなたの手にすでに渡していると約束しておられます。

◇祈りと礼拝 信仰の行動で主に誠実に仕える
 主はヨシュアと民に城壁を1日に1週回り、それを6日間続け、7日目には城壁を7周回わって角笛を吹き鳴らすように命じられました。主が命じたのは武器や戦車や調略を持って、敵を攻撃することではなく、主に信頼し黙して祈りと礼拝に徹することでした。結局は祈る者と祈らない者、主を真の主、王と信じて礼拝する者と主以外のものを礼拝する者に分かれます。ヨシュアと民は主の約束と言葉に誠実に仕え、祈りと礼拝に徹しました。それがエリコの城壁を崩す7日目の軌跡を起こしたのです。

Q:私たちの人生は信仰の戦いであると腰帯を締めなおしませんか?

Q:主が与えてくださる軌跡を見るために、主に誠実を尽くして仕えませんか?看板

 

 

 

 

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2023年1月22日 主日礼拝
「主は私の味方」
ヨシュア記5章9~15節
堀野浩嗣 牧師堀野宣教中

【ヨシュア記5:13~15】 ヨシュアがエリコのそばにいたときのことである。彼が目を上げて、見ると、前方に抜き身の剣を手にした一人の男がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると、彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」 ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、 主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。
 ヨルダン川の中に開かれた主の道を通って、イスラエルの民はいよいよ約束の地カナンに入っていきます。しかし、目の前にはエリコの城壁が高くそびえています。新しい歩みを前にして、ヨシュアの不安な心を知っていたかのように主は目には見えない主の万軍を指揮する将軍(キリスト)を遣わし、ヨシュアに主と主の万軍があなたの味方であり、ヨシュアの足が踏むその場所が主の陣営(神の国)に変えられることを示されました。
◇「主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。」(詩編118:6~7)
 私には神の助けがあるから、恐いことも、負けることもない!と強がって言っているのではありません。詩編の信仰者も、ヨシュアも目の前の出来事に恐れ、どうしようもなく不安なのです。しかし、人生に苦難や試練が訪れたとき、慈しみと憐みに満ちた父なる神は、わたしたちに心配りをして、必要な助けを必ずくださいます。あなたの人生は主の陣営の内にあるのです。「目を上げて」とは信仰の目で見ることです。目を上げましょう。十字架と復活のイエス・キリストはあなたと共におられます。そして神は、あなたをすべての暗闇、困難、霊的な戦いから守り、主と共にその艱難を戦い抜くすべと力を聖霊によってあたえてくださいます。
【ローマの信徒への手紙 8: 31】 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
◇「あなたの足から履き物を脱げ」(15節)
 モーセに主が語られたのと同じ言葉をヨシュアも主から命じられます。「履き物を脱ぐ」とは、主にへりくだって従うことです。どんな人間的な力や武具や富よりも、主の前に履き物を脱いで聖なる主の助けと力をいただきましょう。主を味方にしなければ勝てない、戦いがあるのです。それは罪と悪魔(サタン)と死の暗闇との戦いです。
Q:あなたはだれを自分自身の味方としていますか?

看板

 

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公開日:
最終更新日:2023/02/05