横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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主日礼拝メッセージ

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2020年4月5日 主日礼拝メッセージタイトル

「完了から始まる人生」  
ヨハネによる福音書19:28〜30

本日から受難週に入ります。イエス・キリストの十字架の苦しみを想起し、神が御子イエス・キリストを通して成し遂げられた贖いの業に心を向け、その恵みと愛を受け取りましょう。例年であれば受難週礼拝、金曜日夜の受難日礼拝、そしてイースター礼拝、午後のイースター祝会など共なる礼拝と楽しい交わりの時間を過ごしていました。今年はコロナウィルスの感染を回避するために、教会に集まり礼拝することはできません。4月中は限られた奉仕者が教会に集まり、礼拝奉仕をし、皆さんはビデオ通話や動画配信で礼拝を主に捧げます。詳しくは週報をよくご覧ください。聖霊による一致が教会に与えられ、受難週、イースターを過ごされる一人一人の歩みの途上に、それぞれの家庭に十字架と復活の主イエスの臨在があるように心よりお祈りいたします。

この後、イエスは全てのことが今や成し遂げられたことを知り、「渇く」と言われた。こうして聖書の言葉が実現した。」 ヨハネ福音書19:28
イエス様はあまりにもあっけなく十字架に架けられます。弟子たちも、群衆も、大祭司も、総督ピラトも、救い主イエス・キリストをまっすぐに見ようとせず、言葉を聞かず、自己保身と無責任な言動をします。それは私たちの罪の性質そのものです。この罪を解決し、贖うために罪なき神の子イエス・キリストが人間の全ての苦難と渇きをその身に負ってくださったのです。主イエスは人間の全ての渇きを知っておられます。そして十字架の主イエスに目を向け、主の十字架は私の罪のためだったと、主を心に受け入れ、祈る人に聖霊が注がれ、あなたの渇きは主イエスの体から流れる血と水、永遠の命の水によって潤され、よみがえるのです。

イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
ヨハネ福音書19:30
イエス様は十字架で息を引き取る直前に「成し遂げられた」とおっしゃいました。これは「完了した」、「完成した」(テテレスタイ)を意味します。 イエス様は聖書の預言と父の御心を完成されたのです。それはすなわち、イエス・キリストの十字架によって、天地創造のはじめ人間が神からいただくはずだった、天に満ちている祝福と永遠の命に結ばれる道の完成、そのみ業の完了を宣言されたのです。
主イエスはあなたの人生の完成者です。主はあなたのために十字架を背負い、あなたのための道を備えてくださっています。今はそれが見えなくても、十字架のイエス様に目を向け、イエスを心に迎え入れる時、道であり、真理であり、命である主を見るのです。
わたしが努力や頑張り、富や成功で人生を完了させるのではありません。どのような恐れや不安、迷いや失望の日にも、主イエスの「完了宣言」から始まる人生を歩むのです。復活の命の内に、私たちの人生を成し遂げてくださる主を信頼して、主がくださった全てのものを喜んで、感謝して、主の最善をいつも祈り、歩みましょう。必ず道は開かれます。 今日から始まる2020年度の一人ひとりの歩みと横浜戸塚バプテスト教会の福音宣教の業の一切を、愛するイエスに委ねてお祈りいたします!
【牧師 堀野浩嗣】

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2020年3月29日 主日礼拝メッセージ礼拝タイトル

『キリストの油注ぎ』
ヨハネによる福音書15章5節
ヨハネの手紙一 2章20~27節

先週木曜日に首都圏の各知事が新型ウィルスの感染爆発を回避するため今週末の不要不急の外出を自粛の要請をしました。わたしたちは3月1日から一月間感染予防のために様々な準備と対策を積み上げて来ました。当然、それで100%大丈夫ということはありませんが、落ち着いて行動したいと考えます。家でインターネットを通じて家庭礼拝を守れる方はその場所で。教会に集って奉仕してくださる方は十分な感染予防と教会への往来や過ごし方に十分留意して、共に主イエス・キリストを礼拝しましょう。そこに神の国があり主がわたしたちをすべての病から守ってくださいます。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 ヨハネ福音書15:5
十字架刑の前夜、最後の晩餐の席でイエスさまは父なる神とご自分と弟子たちの関係をぶどうの木のたとえ話を通して教えられました。ぶどうの枝が木の幹につながり水と栄養を得て実を結ぶように、わたしたちも、いつもキリストに留まることによって、実を結びます。子なるイエスが父なる神の心に留まり続けたように、わたしたちもイエス・キリストの言葉と教えにとどまり、豊かに成長し、実を結ぶのです。反対に、キリストを離れれば、最後には切られ、集められ、投げ捨てられるのです。

しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。」   ヨハネの手紙一 2:27
様々なこの世の嵐や悩みの中で、わたしたちはイエス・キリストが分からなくなったり、主に留まることが難しくなることがあります。1世紀の初代教会も、迫害、誤った教え、人間の争い・・・私たちと同じでした。しかし、使徒ヨハネはイエス・キリストを救い主と信じて、バプテスマ(洗礼)を受けた人にはキリスト(メシア:油注がれた方)の油が注がれている!と言います。これは聖なる方、聖霊の油です! どのような嵐の日にも、誘惑や戦いの日にも、天の父とその右の座におられる御子イエス・キリストから私たちには聖霊の油が注がれ、この油注ぎによって、わたしたちに真理(キリストの臨在)を内側に示され、生きておられる主が私たちを嵐や悩みや全ての恐れ、全ての病から解放してくださるのです。そして、今日を生きる勇気や知恵を必ずくださいます。

わたしたちは今、コロナウィルスの病魔、それに付随して起こってくる様々な社会の困難な事柄に社会も教会も、クリスチャンもなす術が分かりません。主はどこにおられるのかと、不安にもなります。しかし、私たちはキリストの油注ぎを受けています。受けられます。私たちが天の父に目を上げ、その右の座でとりなしてくださる十字架の主イエス・キリストの御名で祈るなら、主は油を惜しみなく注ぎ、私に溢れる望みと、喜び、肉体と魂の健康、人生の全ての必要を満たしてくださいます!
【牧師 堀野浩嗣】

 

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2020年3月22日 主日礼拝メッセージ(第一礼拝)IMG_0950

「キリスト流の愛し方で」  ヨハネによる福音書13:1〜15

イエスさまは「この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して」(1節)おられました。父のみ心を成し遂げるために十字架に架けられねばならないこと、弟子の心に悪魔が巣喰い、裏切りが起ころうとしていること、全てのことを知りながらイエスさまは弟子たちを「この上なく愛し抜かれた」のです。この言葉を文語訳聖書は「極(きわみ)まで之(これ)を愛し給えり」と訳しています。自分の死を直前にして、パニックを起こさずに果たしてどれだけの人が、他人を配慮する余裕を持つことができるでしょうか。イエスさまが神の子、救い主キリストであるからこそできた、人智を超えた極限の愛です。誰も真似することは不可能です。ただ、私たちはイエス・キリストによって愛された者、赦された者として、この極みの愛をいただいて生きて行くように皆が招かれています。
イエスさまは極みの愛を十字架の前に、弟子たちがよく分かるように一人一人の足を洗うことで表現されました。汚れた足を洗う仕事は僕(奴隷)の仕事でした。つまり、イエスさまが僕の姿になって、弟子たち、しかも自分を裏切る者の前にひざまずいて足を洗ったのです。
日本語の慣用句に「足を洗う」という言葉があります。これは仏教用語から来ていて、町に修行しに出かけていった僧が泥足を洗って、この世の俗なる考えや煩悩を洗い落としてから再び寺で仏業に入ったことが、悪い行いを止めることの意味で使われるようになったそうです。私たちは何度足を洗っても神様の前に完全に清くなることはできません。人間中心、自分中心の罪は自分ではどうすることもできず、切りがないのです。しかし、イエスさまそのような私たちの足を洗ってくださり、神の前に清いもの、贖われたものとしてくださるのです。イエス・キリストにどのような罪も、失敗も、弱さも、恥も、痛みも、悲しみも、その手で洗っていただき、極みの愛にそのままの姿を委ねる時に、キリストによって新しい命を生きることができるのです。

 イエスさまは弟子たちの足を洗った後、一つだけ命じられました。
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(14〜15節)
イエスさまは地上に残される弟子たちと後の教会が自分たちのなすべきことを見失わないようにそう命じられたのです。「互いの足を洗い合いなさい」 足を洗うという行為を求めているのではありません。 へりくだりと寛容です。 罪人を交わりに招こう、 人の失敗や負債を帳消しにしよう、弱い人と歩幅を合わせよう、人の恥を見なかったことにしよう、痛みある人・悲しむ人の隣に座ってその話を聴こう。
私たちは自分の命を捨てたイエス・キリストのように極みの愛を表すことは不可能です。けれどキリストを真似して生きることで、キリストに似た者となることはできます。自己流で神に認められ、人に認められる必要は神の国ではありません。あなたはすでにキリストに愛されています。あなたはキリスト流の愛し方で、キリストの真似をして生きれば、そこにキリストのよみがえりの命が芽生えます。
「このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。」(17節)
【牧師 堀野浩嗣】

 

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2020年3月15日 主日礼拝メッセージアウトライン

「キリストの香りを放つ高価な働き」  ヨハネによる福音書12:1〜8

先週、WHO(世界保健機構)が新型コロナウィルスの世界的流行(パンンデミック)を宣言しました。日本においては爆発的な流行までは数字上達していませんが、世界規模で見ると日増しに感染者が増えている現状です。この先1ヶ月2ヶ月、もしかすると半年1年単位でこの病と闘って、様々な危機を乗り越えていかなければならないかもしれません。このようなときだからこそ信仰と忍耐を働かせて、全世界の癒しと病との戦いの勝利のために天の父にとりなしのお祈りをささげましょう。
今、私たちは受難節(レント、4/10受難日、4/12イースター)の時を過ごしています。十字架以外のものを誇りや望みとしていた自分の歩みを悔い改めて(方向転換)、十字架のイエス・キリストを救い主と信じ、主に従うことを告白し、再び十字架の血潮によるゆるしときよめを受ける時です。

今日読むヨハネ福音書12章1〜8節のベタニアのマリアの姿から、悔い改めて十字架のイエス様に従うこと、十字架のイエス様を私の主と告白することについて学ぶことができます。マリアは自分の兄弟ラザロが死の淵から、イエス様の祈りによってよみがえらされた奇跡の出来事、十字架と復活を体験します(ヨハネ11章)。それからしばらく経って彼女はイエス様に純粋で高価な香油を1リトラ(年収相当)注ぎかけ、自分の髪の毛でイエス様の足をぬぐいました。大胆に自分の大切なもの(富、時間、自分自身)をイエスにささげたのです。イエス様はマリアのしたことを私のためにしてくれたことで良いことをしたとおっしゃいます。十字架で私たちのために血を流し、苦しみを担われたイエス様を贖い主、真の王と信じ、従うということは、自分の宝をイエス様にささげることです。その時、私たちの家や周囲にキリストの香りが放たれ、人々にイエス・キリストによる救いを伝える香りが満たされるのです。

 あなたの大切なもの、宝は何ですか?(                 )
 その宝を主イエスにささげましたか?主はあなたのささげたものを喜んで受け取り、何倍もの主の油が注がれ、必ず益として用いてくださいます!

 このマリアの大胆行動は信仰が成長した瞬間でした。姉妹マルタは行動的な信仰で主イエスに仕えました。一方のマリアは主の足元に座って。イエスの言葉に聞くことを大切にする信仰者でした(ルカ10:38〜42)。また、兄弟の死の悲しみ時はただイエスに泣き求めるしかできなかった。しかし、マリアは苦難とキリストによる救いを通らされ、自分の殻を破って、行動を伴って主を告白する信仰へと成長したのです。種は殻を破って、芽を出し、葉を増やし、実を実らせ、収穫の喜びがあります。蒔かれた信仰の種は殻を被ったままではないですか?主はあなたの人生に恵みを注ぎ、奇跡を起こし、聖霊によってあなたを満たし、霊の実りを与えてくださいます。そして、日々、栄光から栄光へとキリストの姿に成長し、キリストの香りを放つ、高価で尊い働きへと教会とクリスチャンとして成長させてくださるのです。

新年度4月がスタートします。忍耐を持って今の新型ウィルスの試練を乗り越え、
復活の光と聖霊の注ぎを受けて、殻を破って、主によって成長しましょう! 

【牧師 堀野浩嗣】

 

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2020年3月8日 主日礼拝メッセージアウトライン

「神は忘れておられない」   ルカによる福音書12:4〜7

「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」  ルカによる福音書12:4〜5

・主は私たちに聖書の中で365回も「恐れるな」と語っている。毎日のように主は、私たちに「恐れるな」と語りかけておられる。しかし私たちが唯一恐れるべき存在がある。それはすべての創り主。この方以外を恐れてはいけない。 
・主を恐れることで、私たちはへりくだらされ、砕かれた霊、砕かれた悔いた心を主に捧げ、まっすぐに主を愛することができる。そして、主を正しく恐れる人を、主は友と呼ばれる。(イザヤ書41:8〜11)

「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 ルカによる福音書12:6〜7

・恐れる必要のないもの、魂を救うことのできないものに心奪われ、心の目が塞がれて、主が見えなくなる私を主は忘れておられない。一羽の雀、一本の髪の毛。
・イエス・キリストは十字架で神だけを恐れ・神だけを愛することを成し遂げた。どんな恐れの日にもキリストの十字架の愛と復活の希望が私たちを全ての恐れから自由にし、神によって与えられた人生を生き切る勇気と決断を聖霊によって与える。

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。」  ヨハネ手紙一 4:18
「しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」 ルカ21:18〜19

【牧師 堀野浩嗣】

 

 

公開日:
最終更新日:2020/04/05