横浜戸塚バプテスト教会 (日本バプテスト連盟)

Yokohama Totsuka Baptist Church  Japan Baptist Convention

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主日礼拝メッセージ(Sermon)

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2020年8月9日 主日礼拝メッセージ

「一筋の心で主を求めよ」
ルカによる福音書 16:13
詩編86:11IMG_2247

2020年8月9日 主日礼拝
ルカによる福音書16:13  詩編86:11 「一筋の心で主を求めよ」

全世界で5千万人~8千万人以上の死傷者を出した太平洋戦争終戦から今週で75年を迎えます。先の戦争を様々な切り口で歴史検証し、批評することはできます。しかし、どのような研究や評価もかけがえのない無数の命が犠牲となったことを正当化できるものではありません。「殺してはならない」とのモーセの十戒を唱え、主イエスの十字架を見上げ、戦争や暴力がいかなる問題の解決や人間の幸福にはつながらないことを心に刻みましょう。そして、平和を実現する人として歩み、主の平和を追い求め、愛すること、赦すことを自ら行い、主から来る平和と幸いを勝ち取りましょう。

どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 ルカ16:13
富やお金は神ではありません。経済成長が人を救うのでもありません。一人ひとりが神様からあたえられた命、任せられた人生を主がお与えになったものに忠実に生きることは大切です。その一部として暮らしや経済もあります。しかし、富や経済がすべてではありません。地上でどれだけ豊かであっても、命そのものをくださった造り主を見上げて生きることをしないなら、結局のところ人生はむなしいものです。
この世の富に仕え、富に頼み支配される生き方から、悔い改めて神に仕え、神により頼み、神に支配していただく人生を建て上げましょう。 二人の主人に仕えれば、必ず問題を引き起こします。主は常に、私たちの心の真実を見ておられます。自分の主人をはっきりさせましょう。誰を自分の主人とし、仕えるかが定まらないから生き方が不安定なのです。

主よ、あなたの道をお教えください。 わたしはあなたのまことの中を歩みます。
御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。
詩編86:11
人は、さまざまな思いや知識、欲や不安が入り乱れ、心が分裂して、迷います。しかし、主を恐れて心が一つになれば、自ずから真理のうちを歩めるようになります。
主との一対一の関係の中で、一心に主を見つめ、主を畏れれば、しっかり立って、揺れ動きません。自分の心に対しても、周囲の人にも「主に信頼する私だけが私である。それ以外の私はいない」と言い切れます。
あなたの心は今、どこに向いていますか?主のほかに向いているなら悔い改め、主を見上げましょう。 また、方向を失っているなら、主イエスのみ名によって助けを求めて祈り、主イエスの手を握りましょう。主イエス・キリストが正しい進むべき方向に導いてくださいます。

 

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2020年8月2日 主日礼拝メッセージ

「父の家をわが家とする」
ルカによる福音書 13:22〜30

看板2

主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。」
ルカ13:23〜24

「狭き門」というと日本では、進学や就職で高倍率の難関を例えて用いられることが多いですが、イエスさまがクリスチャンや主の弟子になることをそのような意味で言われたのではありません。
「狭き戸口」とはイエス・キリストご自身です。(ヨハネ10:7、9「わたしは羊の門です」)。そして、イエス・キリストを通ってしか、父なる神のもとに行き、その家で永遠の命をいただいて生きる人生は得られません(ヨハネ14:6「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとにいくことはできない」)。
狭い戸口とは文字通り、狭く一人でしか入れない戸口です。つまり、イエス・キリストとの個人的な関わりがなければ、どんなにこの世で成功しようが失敗しようが、豊かでも貧しくても、病気でも健康でも、悩みや心配が多くても少なくても、魂の救いには関係が無いのです。また、礼拝に何度出席しても、聖書を読んでも、クリスチャンの家族や友人に囲まれていても、あなたがイエスさまとの個人的な関わりを持っているかどうかが要なのです。
狭い戸口を通り、イエスさまと個人的な関わりを持つとはどういうことでしょうか? 主イエスを私の魂の救い主と心で信じて、バプテスマを受けることです。そして、礼拝や集会のときだけでなく365日、主イエスの御名によって祈り、主イエスを知るために聖書を読み学び、主イエスの言葉に応えて生きることです。そのように狭い戸口から日々出入りする人は、父の家で父がくださる守りと大きな祝福をいただいて、神の子としての人生が約束されているのです。

主イエスは「努めなさい」(雄々しくあれ)と命じておられます。多くの人はイエス・キリストとの関わりよりも、この世との関わりを重んじ、この世の生活を優先します。クリスチャンも努めなければ、この世の関わりに多くの時間を取られて、イエスさまとの個人的な関わりを見失い、霊的な力や喜びを失ってしまいかねません。主はイエスを救い主、救いの門と告白し、生涯、イエスさまに導かれて、父の家で神の子として生きる人を必ず祝福し、平和と恵みで満たされます。

わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」 
ヨハネ黙示録3:19〜20

 

 

公開日:
最終更新日:2020/08/09