横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報の巻頭言2019年1月20日

   

聖書『ルカによる福音書 15 章 17〜19 節』
そこで彼は我に返って言った。『父親のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え
死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しまし
た。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

我に返り、父の家に帰る
「なぜ、あなたは罪人たちを招いて食事を共にし、交わりを持つのか?」と問いかけるファリサイ派や律法学者たちにイエスは三つのたとえ話(ルカ 15 章)をお話になりました。三つのお話の共通点は失ったものが持ち主のもとに返ってくるということです。見失った羊、無くした銀貨、死んでいたはずの息子。持ち主はそれらのものが帰ってきたことをただ無条件で喜びます。これが父なる神様の心です。そして、父が願い求めておられることです。イエス様はこの父なる神様の御心に従い、父が求めておられることを満たす働き・・・福音宣教の道を歩まれました。
父の家を離れ、死んでいた息子とは誰でしょうか? それは神を認めない罪の世界に生きざるをえないすべての人間です。つまりイエス・キリストの救いを知る前の私であり、あなたです。しかし、主は誰一人として主の愛と永遠の命を知らずに滅びることを良しとはお考えになりません。それゆえ主は人の子の姿をもってこの世に降られ、ご自身の命を十字架で捨てて私たちを無条件で愛し、ゆるし、永遠の命をイエスをキリスト(救い主)と信じることによって与えてくださいます。誰もが放蕩息子です。神なんていらない、救いなんて必要ない、お金、健康、人間関係、自分の夢や努力で幸せになれると思い込み、がむしゃらに生きています。しかし、夢破れ、疲れたら、どうしようもなくなったら我に返り、父の家に帰りましょう。主はあなたの帰りを待っておられます。
ただ、信仰者は父の家にある豊かさ、愛と守りに慣れすぎると感謝と喜びの心を、たとえ話に出てくる兄のように忘れてしまうことがあるかもしれません。ダビデは「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう」(詩編23:6)と祈りました。なぜなら父の家では「命のある限り、恵みと慈しみがいつもわたしを追いかけてくる」からです。父の家で主と共に生きることに勝る喜び、平安、楽しみはありません。父の家が窮屈で、罪の世界が広々として輝いて見えますか? 主はおっしゃいます。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」(ルカ 15:31)生涯、主の家で共に祈り、共に礼拝し、共に生きる日々を求めて参りましょう。
牧師 堀野浩嗣

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