横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報の巻頭言(2018年7月8日)

      2018/07/10

聖書『ガラテヤの信徒への手紙5章1節』
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。
だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

こんがらがった糸を解く
ガラテヤの信徒への手紙を書いたパウロは「信仰のみで義とされる」と唱えました。つまりキリストを救い主と信じたら救われるということです。しかし、それは「律法(戒律)を完全に守りおこなうことによって義を達成しよう」とする誤った信仰への強い反論です。パウロは信仰さえあれば、クリスチャンにさえなれば、日々の生活や行いと一致しなくてもいいと言ったのではありません。実際、パウロほど信仰と行いが一致していた人はいません。パウロは回心した後、キリストの愛と恵みの下に人生を建て上げ、全てをささげてキリストに従いました。わたしたちもパウロの信仰に倣いたいと願います。そもそも聖書は信仰と行いは一つだと教えています。信仰と行いとは切り離せず、信じることは行うことです。旧約聖書の原語はヘブライ語ですが、「信仰」は「エムナ」といいます。「エムナ」とは、単なる知的、精神的な範囲に留まらず、行いをも含でいます。信仰の父祖アブラハムは主を信じ、生まれ故郷を離れて約束の地へ出発したので主から義と認められました(創世記15章)。モーセやダビデも同じ信仰でした。
しかし、私たち、特に日本のクリスチャンにとって、信仰と行いの一致は簡単ではありません。日本は本音と建て前の文化です。例えば日曜日に礼拝に行くということだけでも、それを阻む要素はいくらでもあります。自分の信仰と行動を一致させようとすればするほど不安や恐れ、苛立ち、うまくいかず、こんがらがった糸、がんじがらめの状態になってはいませんか。そんな私たちにパウロは「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(ガラテヤ5:6)と言っています。つまり、イエス様が神を愛し、弟子たちを愛されたように、私たちも精一杯の心で神を愛し、キリストの体なる教会を大切にし、家族や教会の兄弟姉妹を愛し、大切にし、尊敬し、互いに仕え合うことです。こんがらがった糸は力任せに引っ張れば手に負えず切るしかありません。しかし、「愛」を働かせれば、神の救いが与えられ、信仰による自由と喜び、溢れる霊の実り(ガラテヤ5:22)が与えられます。「愛すること」から新しい一週間を始めましょう。
牧師 堀野浩嗣

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