横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報の巻頭言(2018年6月17日)

   

聖書『 出エジプト記6 章9〜10 節』
モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。 主はモーセに仰せになった。「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」

困難な役回り
モーセは主からの召命を受けて、再びエジプトに帰ります。そして、主が語られたとおりに語り、エジプトの王ファラオにイスラエ
ルの民を奴隷から解放し、エジプトから去らせるように求めます。しかし、ファラオは頑なで、かえってイスラエルの民の置かれた状
況は過酷になる一方でした。
働いても、祈っても、献げても、愛しても、状況を好転させようと一生懸命に立ち回っても一向に道が開かれず、人から理解さ
れず、苦しみ疲れ果て、「もう何をやってもダメだ」とあきらめ、投げ出してしまいたくなる時はないでしょうか? モーセは主に「わ
たしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは
御自分の民を全く救い出そうとされません」(出エジ8:23)と不平をもらします。私たちも「神様、私はこんなにやってるのにあな
たは何もしてくださらない!」と主を疑ったり、主の言葉、主の力に信頼することをやめて、主以外のものを崇め、救われようとして
しまう者です。
けれど、主はモーセに三度語りかけます。「わたしは主である」(出エジ9:2、6、8)と。主は現実の可能性から私たちに語りかけ
られているのではありません。私たちの立っている現実がどのようであろうとも、天地を造り、それを支配しておられる主の現実
(神の契約)のゆえに望みを持って生きるところに、真の救いと解放はあるのです。そして、主はモーセをファラオとイスラエルの民
の間に立たせたように、私たちキリスト者を困難な場所に遣わされるのです。
今日、わたしたちの生きる社会も、家庭も、教会も、一朝一夕には解決できない困難な課題が山積しています。しかし、主はそ
のような困難な現実の只中に立ち、相対する者や出来事の狭間でモーセのように謙遜に仕え、何度挫折してもあきらめず、主
の言葉を聞き、主による贖いと救いを望み、祈り続ける人を必要としておられるのです。そして、そのような困難な役回りを主か
らのミッション(使命)として生きる人を通して、主の栄光は全地に満ちるのです。私たちの叫びは既に十字架と復活の主イエス・
キリストに届いています。主イエスと共に出て行きましょう。
牧師 堀野浩嗣

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