横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

*

週報の巻頭言(2017年5月28日)

   

聖書『マルコによる福音書11章17節』
そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」

わたしの家は、祈りの家
イエス様は父なる神様に祈るため神殿に行かれました。入ると本来なら「心と精神と力を尽くし、思いを尽くして主を愛し」、感謝と祈りを携えて集うはずの神殿が、人間の欲にまみれた「強盗の巣」と化していたことに驚き、憤りを覚えられました。主を愛し、主の愛を分かち合うことをせず、富を愛し、利益をむさぼる商人や祭司、それを甘んじ受けざる得ない民衆の苦しみを見て、イエス様は激しい怒りを示されました。これ程までにイエス様が怒りを示された理由は、本来あるべき神殿と礼拝者の姿、本来あるべきわたしたち人間の姿から遠くかけ離れた生き方を「良し」とはされなかったからです。
イエス様は神が全ての人に命の息(霊)を注がれているが故に、神を求め、神と出会う者として生かされていることを知っておられました。人生の様々な出来事を通して人は飢え渇きを覚え、「祈り」、真の神と出会うチャンスが与えられるからです。神殿(教会)は無条件で主の愛を受け、一人ひとりが主とお会いする場所です。イエス様はこのことに熱心さを一途に傾けられるのです。
聖霊が弟子たちに注がれたペンテコステの日、人々は皆、心を一つにして主に祈っていました。この弟子達が集う所に聖霊を注がれ、聖霊を通して主にお会いし、キリストの教会(新しい神殿)が世界各地に誕生していったのです。主イエスは「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』(イザヤ56:7)」 と叫ばれる声を今もわたしたちが聴く時、「ここは<すべての国の人の祈りの家(マルコ11:17)」として、全ての人々を主の愛の許へと招く教会としてこの地に建てられている目的と使命を確認し、感謝しつつ歩みましょう。
聖書には「怒るのに遅いようにしなさい」(ヤコブ1:19)と教えられています。しかし、怒りの感情も神の賜物であり、用い方さえ間違わなければ益となります。ニーバーの祈りのごとく「変えるべきものを変える勇気」と「変えられないものを受けいれる冷静さ」と「それらを識別する主の知恵」を主イエスに願い求めましょう。
牧師 堀野浩嗣

 - 巻頭言