横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報巻頭言(2017年3月19日)

   

聖書『ルカによる福音書15章20節』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

父は待っておられる
ある人にふたりの息子がいました。ある日その弟は父親に財産の分け前を要求して家を出て行きます。親との確執か、虚栄心によるものか、若気の至りか、理由は分かりません。しばらく経って彼は出て行った先で与えられた財産を湯水のように使い果たし、さらに飢饉に遭い、困窮し、ボロボロになるまで追い込まれ、ようやく我に返ったのです。これがイエスさまの語られた有名なたとえ話の一つ、『放蕩息子』(ルカ15:11〜32)のくだりです。
このたとえ話の息子たちはわたしたち人間の姿です。そして、その息子たちをあるがままで愛し、見守りつづける父親は、造り主、全地全能の父なる神様のお姿です。人は神さまによって与えられる恵みと喜びが分からず、神さまとの関わりなしに自力で生きていけると考えてしまいます。これがサタンの誘惑です。結局、人は生きる意味、目的を見失います。そして、物質的にしろ、精神的にしろ、貧しくなり、困窮し、行くところまで行って傲慢な自我が砕かれて、はじめて自分一人では立てないこと、神さまの愛と憐れみに支えられて立つことができることが分かるのです。
どんなに遠くに行って、好き勝手して、ボロボロになっても、父はわたしたちの帰りを信じて待ちつづけている、そのような愛があるということをイエスさまは語ります。そして、そのような神の愛を示すために十字架に架かられたのです。神さまは、どんなにメチャクチャな人生を歩んだとしても、その人が帰って来たことをただただ喜び、大いなる愛の内に人生を回復させてくださるお方です。そのような神さまこそ真の神と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。
まもなく桜も咲き、春を迎えます。4月から新しい生活が始まる方もいます。どこにいても、何をしていても、どんな出来事があろうともわたしたちを待ちつづけ、愛しつづけ、人生を万事益としてくださる父なる神さまの愛が注がれていることを忘れないでいましょう。そして、主の愛と赦しのまなざしの内に新年度へと進み行きましょう。
牧師 堀野浩嗣

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