横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報巻頭言(2017年2月26日)

      2017/03/28

聖書『ルカによる福音書10章33〜37節』
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

大切なのは与えること
今日の箇所は「善きサマリア人のたとえ」として知られています。このたとえ話を何度も聞く中で「善きサマリア人コンプレックス」とでも言うべき思い、つまり「自分は駄目なクリスチャンだ。このサマリア人のように善く生きられていない。」という責めや恥、もっと何かしなければという焦り、そんな「しこり」のような思いを持っている人は少なくないでしょう。けれどイエス様は自分を試みようとした律法の専門家、いやこのたとえ話を聞くわたしたちにダメ出しするためにこのたとえを話されたのでしょうか。
このたとえ話は古代教会以来、善きサマリア人はイエス様であると解釈されてきました。最近の聖書学者はそのように置き換えて読むことは極端だと言いますが、わたしはこの解釈は捨てられないと思います。それは、ここでひん死の状態で道端に捨てられていた人こそ、わたしたち自身であり、立ち止まったサマリア人はイエス様ご自身です。わたしたちは人を助けてあげられる者である前に、イエス様によって憐れみを受け、介抱され、助けていただかなければならない者なのです。ある人は、実際に善きサマリア人のように生きたら、身がもたないと言います。その通りです。身がもたなかった、主イエスは十字架でわたしたちを救うために死んだのです。そして、唯一イエス・キリストの十字架と復活を通して完全な愛、完全な聖さ、永遠の命はあり得ない恵みの出来事として与えられているのです。
イエス様はご自身をこの世へと遣わされた父なる神様の愛に立ち帰るように招いておられます。そして、その愛を知ったなら「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言われるのです。神様がイエス・キリストを通して与えてくださった愛、命、祝福、平和、希望、優しさを、たまたま偶然のような小さな出会いにおいて目の前の人に分ち与えることこそがわたしたちの使命です。キリストの愛に心熱くされ、渇く人にコップ一杯の水を差し出し、暗い道を行く人の灯になり、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く者とされてまいりましょう。
牧師 堀野浩嗣

 

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