横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報巻頭言 (2016年9月11日)

      2016/09/12

聖書『使徒言行録 4章30〜31節』
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した。

祈りの力
「はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(マタイ18:19)また、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:20)と主イエスさまが語られた言葉を弟子たちは信じ、深く心に留めていました。だからこそ、ペトロとヨハネが逮捕されるという窮地に陥っても、怖じ恐れることで終わらず、心を一つにして父子聖霊の三位一体の主なる神に向かって祈りを合わせたのです。
世の人々は、神に祈る人とは、あたかも弱さの証し、最後の手段であるかのように誤解することがあります。しかし、真の神に祈る人は、実に多くの祝福を直接神から受け、祈れば祈るほど、更に祈る者へとされます。なぜなら祈りは力だからです。祈りは神の御心を単に瞑想して、つかの間の心の安らぎを得て終わるだけではなく、行動へと移す力が与えられることを初代教会の仲間(=教会の兄弟姉妹・使徒)たちは教えています。そして、祈りを通して主から与えられた力は、どんな時も平安と一致をもたらし、変化を生じさせ、燃え尽きることがありません。
肉体的な力、精神的な力、経済的、社会的力が乏しく、衰えているように思えても、目を神に転じて賛美の祈りをささげ、み言葉を信頼し、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に福音を語ることができるようにしてください」(使徒4:29)と主に祈りましょう。「語る」とは「生きること」です。主イエスの御名を信じて祈るとき、勇気をもて、大胆にわたしに与えられた人生を生きる力とすべての人と共に生きる力が聖霊によって与えられるのです。
牧師 堀野浩嗣

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