横浜戸塚バプテスト教会

Japan Baptist Convention Yokohama Totsuka Baptist Church

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週報巻頭言(2016年5月22日)

   

聖書『マタイによる福音書8章13節』
そして、百人隊長に言われた。
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。

神の国の民として生きる ①〜わたしたちの信仰の勘所〜
「勘所」とは弦楽器(バイオリン、三味線など)を演奏する際に、正しい音階を奏でるために指で弦を押さえるところのことを言います。大事なポイント、急所とも言い換えることが出来ます。わたしたちの日々の生活にも様々な「勘所」があります。仕事、家事、勉強、スポーツ、乗り物の運転・・・「勘所」をつかまずにただがむしゃらに頑張っても、うまく行かないものです。反対に失敗をくり返しながら、忍耐して、苦心して「勘所」をつかんだときは本当に嬉しいものではないでしょうか。
さて、主イエスはカファルナウムの町で、僕の病気をいやしてくれるように求めたローマの百人隊長を「イスラエルの民の中でも、これほどの信仰は見たことはない」と賞賛されました(マタイ8:5~13)。イスラエルの民(神に選ばれた民)ではない、ローマの百人隊長の中に、主イエスが見出された「これほどの信仰」、彼が知ってか知らずか、つかんだ信仰の勘所とはどのようなものだったでしょうか。
彼は自分の僕のために主イエスの前に自ら足を運びます。地位や立場を越えて、愛すること、謙遜に仕えることから、信仰は育まれていきます。なぜなら神は愛だからです(一ヨハネの手紙4:8)。さらに、この百人隊長は主イエスと主イエスの語られる言葉に真なる神の権威(神の救いの力)を認め、自分も僕も神の支配と力の下にあることを告白しました。百人隊長は当時、神としてあがめられたローマ皇帝の直属の部下です。この世の権力、富の力、武力をすべて持っていた彼が、イエスを神の子として信じて、僕がいやされるように膝をかがめて主に求めたのです。
聖書を通して語られる神のみ言葉には力があります。わたしたちをきよめ、癒し、新しい命を日々与えることが出来ます。そのように信じて、み言葉を心に蓄え、み言葉のとおりになりますようにと祈ることが、わたしたちの信仰の勘所なのです。
牧師 堀野浩嗣

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